ぶっき Library... 2007年10月

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東京奇譚集 (村上春樹)

村上春樹の新しい本は久しぶり。新しいと言っても、発刊から既に2年以上経過しているわけだが…

自らの芸風を確立し、世界規模で支持されるようになった作家が、余裕を持って書いている。芸の力は揺るぎない。
しかし、かつてその芸に輝きを与えていた何かが…相当程度失われてしまった。積み上げられてきたスタイルは形骸化し、新しい村上春樹らしさと見受けられる三人称語りまたは濃度の薄い一人称語りは練度が低く響いてこない。

詳しいことは分からないし、おそらく小説の中で率直に語られたことはないと思うけれど、いずれにしてもかつての村上春樹は「他者や取り巻く世界をうまく理解できない、ないしはそれらとうまくかかわれない」という状況にあって、そんな状態を分析・評価・批評を交えず、というか入念にそれらを排除し、実感とか感覚を言葉として積み重ねることで自己表現を試みていた。見方を変えれば、うまく理解できないもの(=他者や取り巻く世界)をもっともらしく理屈で処理することを由とせず、実感を込められる言葉やイメージのみで語ろうとした(そのぶん自閉的になったけれど)。その試みは真摯かつ徹底的なものであり、アーティスト名やブランド名の羅列、リズミカルで心地よいけれど空疎な会話等々の軽薄な(?)外面的特徴にもかかわらず、村上作品に独特の芸術的リアリティ(?)をもたらしていた、と思う。
このアプローチは80年代に頂点を迎えるが、作家の表現者としてのプライドと意欲がそれに長く安住することを許さず(推測)、90年代前半の労作『ねじまき鳥クロニクル』三部作の中で劇的な変容を遂げた。それまで裏方であった(感覚、感情、華麗な表現などなどを下支えしていた)観念が前面に張り出して来た。
新たに打ち出された方向性は急速に強まり、過去の文体や修辞法を保持しつつ、技巧的な観念小説として花開いた。観念的ではあっても、理屈をむき出しにせず比喩や連想や幻想を駆使した行き方には、依然としてこの作家のこだわりやセンスが感じられた。
が…『ねじまき鳥クロニクル』第三部には産みの苦しみと呼びたくなるような息苦しさとそれを乗り越えた力強さがあったけれど、次第に村上春樹の紡ぐ言葉は軽くなってきた。かつて「僕」や「ぼく」に思いを託して言葉を紡いでいたときのような力強さも、華やかさも、浸透力も後退していった。
理屈の上での進化は、必ずしも作家としての進化につながらない、と思う。たぶん、一所懸命に自分を語ったり表現しようとしていた頃の彼ほどには、演出者として一歩ひいて振舞う彼は興味深くはないのだ、わたしにとって。
“語り”という切り口から言うと、かつての村上春樹は一人称語りにこだわり、その道では超一級の語り手だった。しかし、三人称語りの語り手としては、まあ「なかなかいいね」止まりだと思う。そして一人称語りにかつての精彩はなくなっている。

『偶然の旅人』『ハナレイ・ベイ』『どこであれそれが見つかりそうな場所で』『日々移動する腎臓の形をした石』『品川猿』の五篇が収録されている。世の中に出回ってる短編集たちを交えてランキングするなら、中の上あたりにはなるのかもしれない。あるいは、村上春樹を知らない人が手に取れば、「風変わりで面白い作家がいるな」くらいは思うだろう。
ただ、だらだらと上述したとおり、わたしはいずれの作品にも感銘も感心もしなかった。よく言えば“肩の力を抜いた”だが、村上春樹だったらこのくらい書けて当然だろうし、どちらかというと手を抜いているように読める。
たとえば、『偶然の旅人』では、前置きの語り手自身の体験と、その後のメインの物語にズレがあって(「人生に影響のない不思議な出来事」と前振りしながら、実際のエピソードは人生に影響を与える出来事)、そのことがインパクトを緩慢にしている。プロットが煮詰められていない。
『ハナレイ・ベイ』では、多用される会話の嘘っぽさが鼻につく。また、この種の三人称語り小説で重要な、各キャラが作り物っぽい。この作家はもともとキャラ作りのキャパが乏しいのだ。過去の名作を振り返っても、「僕」とそれにかかわる女性たちには存在感があるけど、それ以外のキャラは人工的。三人称語りによってもともとあった弱点が露呈している。
『どこであれそれが見つかりそうな場所で』は、最初こそ状況設定に期待しかけたが、「私」を謎めいて描くことの効果が疑問。軸足の置き所があいまいなので感銘も半端。
『日々移動する腎臓の形をした石』は、この人の小説としては保守的な傾向で、“らしい”けれどそのぶん新鮮味はない。
『品川猿』は、他愛のないファンタジーの短編として読むぶんにはいいけれど、短編集の掉尾を飾るには物足りない。これだけが書き下ろしで、この短編集の“肩の力を抜いた”持ち味が色濃く出ているのかもしれない。

上にも書いたけど、村上春樹は、創作者としての進化を試みて、現在のスタイルに至った。何にしてもその姿勢には感服する。しかし、理屈の上での進化が作品の魅力アップに必ず結びつくわけではない。
さらに、世界的規模で支持を得つつあることが、創作上ポジティブに作用していた彼の意固地さ(あるいはハングリーさ)を減退させているのかもしれない。あるいは加齢による後退か?あるいは、魔がさしただけか?いずれにしても、かつての作品群からすると、『東京奇譚集』は脇が甘くて、馴れ合い的に緩い作品集と感じた。村上ファンの方、失敬。
tokyokitansyu.jpeg
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  1. 2007-10-08 14:04:28
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