ぶっき Library... 2006年06月

ぶっき Library...
読んだものの感想を自由に。



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今さら自筆原稿流出事件(前編)

図書館で『文藝春秋』4月号を目にしたので、一頃話題になった自筆原稿流出事件に関する村上春樹の寄稿「ある編集者の生と死-安原顯氏のこと」を読んだ。

ご存じ無い方のために簡単に説明すると、故安原氏が(その筋では有名な編集者、批評家だったらしい)、編集者として手に入れた村上春樹の自筆原稿を無断で売却していたらしい、という事件。

『文藝春秋』4月号が出回ったのは今年の3月。3ヶ月遅れの話題。まあ、新刊本を採り上げることが稀な当ブログとしては、3ヶ月程度のタイムラグはどうということは無い(笑)。

この事件やこの記事のことは3月の時点で聞き知っていた。記事は読まなかったが、ネットで盛んに言及されていたので、あらましは知ることが出来た。その頃に記事を読まなかったのは、ゴシップには興味が無かったから(関係者にとってはゴシップで片付けられないことかもしれないけど)。
で、このたび目を通したのは、事件とは別の興味から。



ここで話はガラリと変わるけれど・・・

三人称語りでは、作家は自ずと超越者=神の視点から物語世界と関わることになる。一方、一人称語りでは、作家の視点は特定の登場人物にチューニングされる。特に、村上春樹の語り手は、報告者・観察者ではなく物語の中心人物なので、語り手の自意識が物語世界の根幹をなすことになる。
このやり方は、読者を語り手の内面世界に誘い込みやすい反面、ある意味無防備で、作家自身の甘えとか弱さを曝け出して興を殺いでしまうリスクがある。そういう例は、彼の模倣者たちの作品に少なからず見受けられる、と思う(もっとも、それを魅力と感じる人もいる)。しかし、村上御大の作品ではそれを感じない。

甘えとか弱さを垂れ流さないためには、人格を鍛え上げるか、一人称語りを用いながら、複眼的に超越者=神の視点と語り手の視点を使い分けられる知的・精神的強靭さが必要なのではないか。

初期~中期の村上作品の「僕」ないしは「ぼく」は、自分の価値観や美意識に固執する意固地な人間。当然周囲とのズレやすれ違いが生ずる。ここからがこの作家らしいのだけど、「僕」ないしは「ぼく」は、そのズレやすれ違いをまっすぐに受け止め、傷ついたり悲しんだり落ち込むけれど、それによって自己批判も他者攻撃もしない。ただ受け容れて消化する姿勢には、人とか社会に対する諦念みたいなものが漂っていて、そのことに不快を覚える読者はいるかもしれないけれど、少なくとも作品として独善や自家撞着には陥っていない。ゆがんでるけど(私見)、姿勢として筋は通されている。
一方『ねじまき鳥~』以降の登場人物たちは、成し遂げるためと言うよりも、守るため、自由のために戦う。この戦いの構図で特徴的なのは、敵や戦いそのものが観念的・抽象的に描かれていること。勧善懲悪劇ではなくても、観念化・抽象化された敵は自然と読者の目に「悪」と映るので、主人公の側の正義をすんなりと受け容れることになる。

というように、主人公たちのキャラや作品の価値観は生臭そうに見えるけれど、それが臭わないように周到に防御壁が設けられている。もう少し噛み砕くと、「僕」ないしは「ぼく」みたいな人物と現実に接したら、不愉快な思いをするか、それ以前にコミュニケーションが成立し無さそうだけど(あくまで私見)、小説の登場人物として接している限りにおいては、さして不快ではないし(違和感くらいはあるけれど)、ときには感情移入してしまう。
やり方に対する好き嫌いは別にして、作家としての頭の良さなのだろうと思う。


さて、このことが冒頭の寄稿とどうつながるのか、だけど・・・

自筆原稿流出事件は現実の出来事だから、ただ受け容れて消化するだけでは済まないかもしれないし、敵(?)は実在した人物で、観念的な存在でも抽象的な存在でもない。
フィクションを通してしか村上春樹を知らないわたしは、彼の知らない一面がこの寄稿の中に見つかるかも、という興味を抱いた。


後編はこちら
bungeishunju.jpg

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  1. 2006-06-29 02:13:22
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少女@ロボット (宮崎誉子)

今年の三島賞にノミネートされていた作品で(受賞は古川日出男『LOVE』)、題名に惹かれて読んでみました。
初めて読む作家で、1973年生まれの若手です。

エステティシャン、お饅頭屋さん、歯科助手、教師などなど、働く若者を、ポップかつリズミカルな文体で描いた短編9編が収録されています。ただし、例外が表題作で、高校生が主役。残念ながらロボットは出てきません。
文体は軽快ですが、なんとなくのハッピーエンドとか人情話にしないで、働くことのしんどさ、イタさ、ストレス等のマイナス面がリアルに描かれていて、中味はそれなりにシリアス。

最大の特徴は文体。セリフが多くて、しかもセリフ・地の文とも大半は1行以内。長くても2行。そして、句点(マル) ごとの改行。どのページも余白だらけです。
意識的に表現を切り詰めているようで、たとえば状況とか背景の描写なんかは可能な限り削ぎ落とされていて、ところどころ分かりにくく感じますが、頻出するコミカルな表現と相俟って、テンポとリズムが際立っています。
他の本を読んでいないので、これがこの人のやり方なのか、作品集のコンセプトとしてこうしているのかは判断できませんが、この短編集ではなかなか効果的。

ただし、これは自分の首を絞めかねないスタイルで、と言うのは、状況設定の作り込みをしなければ、テーマの掘り下げに限界が出てくるし、作品毎の味わいが登場人物(主人公)のキャラに依存してしまい、同じ人が作っている以上、どの作品も似たり寄ったりになりがち。
実際ここに収められている9編はお互いにかなり被っていますが、ちょっとずつ捻りが加えられていて、これ一冊を読み通すぶんには単調さは気になりませんでした。
特に8つ目の『魚眼レンズ』とか9つ目の『プライドリル』は捻りの効いた好編。
もっとも、この2作品や表題作に関しては、スタイルの限界を感じます。テーマがある程度以上重くなると、文体の淡白さが物足りなくなります。

他の本も読まないと(作家の)キャパは分かりませんが、この作品集はなかなか楽しめました。こういう軽すぎない軽さは嫌いじゃないです。
syojo@robot.jpg
  1. 2006-06-26 19:56:27
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誰もわたしを愛さない (樋口有介)

柚木草平シリーズ第4弾。
このシリーズは現在5作品で、このブログでは第1弾『彼女はたぶん魔法を使う』、第2弾『初恋よ、さよならのキスをしよう』が既出。順番通りだと第3弾『探偵は今夜も憂鬱』に行くはずですが、これは中篇集で、長編好きのわたしとしては、あっさりとスルーさせていただきました。
ちなみに、第1弾、第2弾とも絶版だそうで、巷では不人気シリーズのようです。世間はこの作家に冷たすぎるような・・・

奇しくも援交ネタで、女子高校生の援交がらみの事件に柚木草平が挑みます。
前回アップした『ラブ&ポップ』(村上龍)の発刊が1996年で、本書は1997年。1996年の流行語大賞に「援助交際」がトップテン入賞しており(他に「ルーズソックス」「チョベリバ、チョベリグ」「アムラー」も入賞)、そういう時代背景が多少は影響しているのか(現在ではありふれた題材ですが・・・)?

モテるけど女に弱い柚木草平が主役のライト感覚ハードボイルド、という既定の路線に乗っかっています。ここでも、念入りな女性の描写、ハードボイルド調のリズミカルな会話が目を惹きます。

ただし、全体から受ける印象は過去に読んだ2作品と比較して、濃くなっている感じ。主人公による一人称語りは渋味や鬱の度合いを増しています。また、会話のリズムは軽妙だけど気持ちしつこくて、柚木草平のハードボイルド口調は、過去の2作品では笑える滑稽さの範囲内ですが、この作品では軽く灰汁が出ています。
樋口有介らしさ、という意味では純度が上がっているのかもしれないけれど、第1弾『彼女はたぶん魔法を使う』あたりのバランスの良さ、軽やかさ、爽やかさが後退して、読者を選ぶ傾向が強まっているかも。

柚木草平が惚れる女性より、彼の相棒役の女性の方が活き活きと魅力的に描かれていて(露出が多いせいもあるけれど)、その点では感情移入しにくかったです。

一応ミステリー仕立てですが、このシリーズでは犯人探しが主眼ではありません。今回も、事件としてはしょぼいし、犯人は早い段階で想像できてしまうけれど、事件解明プロセスを骨格として、キャラクターやストーリーテリングの面白さを楽しめます。
darexwatasixaisanai.jpg
  1. 2006-06-21 16:35:45
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ラブ&ポップ トパーズ2 (村上龍)

先日アップした『Deep Love』と援交つながりで読んでみました。実践に向けての下調べ、ではありません(笑)
ちなみに、『Deep Love』は2000年の作品ですが、『ラブ&ポップ』は90年代半ば。

援交女子高校生のとある1日が描かれています。

この作品には作者のあとがきが付いていて、それは「私は、あなた達のサイドに立って、この小説を書きました。」という一文で結ばれています。「あなた達」というのは、執筆に協力してくれた女子高校生たち。
ここでの「あなた達のサイドに立って」は、援交を歪みや乱れと片付けないで、現実を受け容れるところから執筆した、というような意味でしょう。たとえば『阿修羅ガール』(舞城王太郎)の第1章のような、ダイレクトに彼女たちの息遣いを感じさせる筆致ではなくて、『ラブ&ポップ』では媒介者(≒案内人兼通訳)として村上龍の存在が見え隠れします。良し悪しは別にして。

たぶん、この作品のポイントは3つ。

1つ目は、彼女たちを取り巻く時代/風俗の再現。
ファーストフードや渋谷の街角で耳に飛び込んでくる人々の会話、伝言ダイヤルに登録されている伝言の数々、店頭に並ぶブランド品の数々、などが、何ページにも渡って延々連ねられています。個人的にはあざとく感じますが、なかなか効果的。

2つ目は、援交に対する女子高校生たちのスタンス。
普通の、というよりも普通以上に恵まれている女子高校生たちが、罪悪感や恐れはあるけれど、それらを簡単に乗越えてしまえる危うさが伝わってきます。

3つ目は、彼女たち(主人公の裕美をモデルとして)の内面の掘り下げ。
本人の自覚はあやふやですが、その日の出来事を通して、周囲の人や生きることと心の表面でしか関わっていないこと、そのことがゆがんだ渇きとなっているらしきこと、が暗示されます。もちろん本書の最重要ポイント。上手さは感じますが、奇麗事臭いかも。

手際良くドラマに仕立てられているし、大胆な演出が目をひきますが、「小説版いまどきの援助交際レポート」という印象が無きにしも非ず。主人公の裕美に生身な感触が乏しいので、分析や計算が表立って見えてしまいます。

20年ほど前に読んだ『限りなく透明に近いブルー』を除くと、3作しか読んでいないのに、こんなことを言うのは僭越かもしれませんが、この作家は人物造形に際して“形(外側から看取できる要素)”からアプローチする傾向があるようです。だからこそ、いろんなタイプの人間を描き分けられるし、時代とか風俗に熱い視線を注ぐのでしょう。
“形”を整えて終わり、ということではなくて、“形”から内奥に迫っていきます。ただし、踏み込みが甘いと、奥底まで光が当たりきらなくて、よそよそしくなってしまいます。『ラブ&ポップ』にはそんな印象が残りました。
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  1. 2006-06-19 08:36:22
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『未来少年コナン』が面白すぎる件

Yahoo!動画で無料配信されている、『未来少年コナン』全26話を観ました(2006年6月末で終了)。いまさらながら、面白すぎ!

この作品、宮崎駿第1回監督作品だそうで、オンエアは1978年4月4日~10月31日。僕たちの70年代です!僕たちって・・・生まれは60年代ですが、記憶の面では僕たちの70年代!残念ながらそのときは断片的にしか観ていません。さらに2004年に再放送されたらしいのですが、知りませんでした(知っていたとしてもテレビ放映だと観切れなかったかも)。だから、通して観るのはこれが始めて。

さすがに30年前の作品なので、古さを感じてしまうのかなぁ?などと危惧しながら、暇を見つけて2~3話ずつ視聴していましたが、全然古びてない!もう不自然なくらい。いや、それはちょっと言い過ぎで、音楽だけは当時のNHK臭さを感じます。でも、ビジュアルはまるで風化していません。

絵的には、最近の宮崎作品よりも、世界名作劇場(『アルプスの少女ハイジ』『フランダースの犬』などなど)に近い感じで、素朴っちゃあ素朴ですが、こだわりの演出と丁寧な作画が素晴らしくて、見入ってしまいます。
実質的なクライマックスである第25話での、ギガントを巡る攻防やインダストリアの沈没の迫力とスケールの凄いこと!

というか、絵だけじゃなくて、ストーリーとか演出とか、あらゆる要素が噛みあって効果を発揮しているから、1パートだけ抜き出して語れない。

つくづく上手さに感心してしまうのは、たとえば第8話。
バラクーダを逃れたコナンとラナは最終的にインダストリアの砂浜にたどり着きますが、そのプロセスで挿入される海底のシーン。撃沈されたボートの破片にひっかかって海底に沈んだコナンのために、ラナは必死で海面と海底を往復し、口移しで空気を送ります。
ストーリーの流れの中では無くてもいいシーンですが、迫真の緊迫感と、ラナの一途な心根を表して、全編中最も印象的な場面の1つにしています。
原作通りなのか、アニメ版のオリジナルかは分かりませんが、こういう効果的なひらめきがあちこちに。

宮崎アニメといえばキャラクターの魅力。もうこれは、後の『カリオストロの城』やジブリ作品のルーツと思しきキャラが目白押し。
個人的には、男の子なんで(?)ラナが一番印象的。第18話、沈没したガンボートの一室。浸水する中、寝台に突っ伏して恐怖に耐えながら、コナンを待つラナ。扉が開いて、泳ぎながら駆けつけたコナンを笑顔で迎えるラナ。クラリスの原型。
いや、やっぱりキャラを特定するのは難しいかも。超人コナン、オバサン顔のジムシー、愉快な海の男ダイス、私服が可愛いモンスリー、ホントに悪いやっちゃのレプカ、みんな印象的。脇役にも目が行き届いていて、第25話で沈み行くインダストリアに残る老科学者たち、なんていうのもグッときます。

ところで、この作品の設定だと、2008年7月に戦争によって地球は壊滅的な危機に瀕します。あと2年ですが・・・たぶん大丈夫でしょう。30年前の人たちが想像していたほど科学は進歩していないし、人間は愚かでは無さそう。
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  1. 2006-06-14 11:54:54
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そのときは彼によろしく (市川拓司)

この人の本はこれで4冊目。
初めの2冊でアレルギー反応。しかし、3冊目の『いま、会いにゆきます』がなかなか楽しめたので、気を良くして本書にチャレンジしたのですが・・・頭を抱えてしまいました。

誤解の無いように断っておくと、作品そのものに対して頭を抱えたわけではありません。4冊目ともなると、期待以上にせよ以下にせよ、動揺するほどに意外ということはそうそうありません。では何ゆえに頭を抱えたかと言うと、ちょうど伊坂幸太郎の『重力ピエロ』を読んだときと同じようなディレンマに対して。

『重力ピエロ』で伊坂幸太郎の幼稚な自己中心性に辟易したわたしは、この作品への賞賛の声に戸惑いました。「なぜ多くの本読み人たちは平気なのか?」
解釈の差が出にくいプレーンな作風だけに、この戸惑いは実存的。

『そのときは彼によろしく』は、主人公=語り手の幼馴染花梨が「そろそろ行くことにする」と告げるまで、つまり66.5%過ぎ頃まではなかなか良かったです。ところどころでカッコ良さを意識しすぎた空疎な直喩が気になったくらいで(春樹チルドレンたちのおかげで耐性できました)、子供時代の回想シーンの抒情性と主人公&花梨が繰り出すラブコメ風ユーモアがうまく溶け合って、心地良い気分に浸らせてくれました。それで、終盤に向けてかなり期待が膨らみました。
しかし、花梨が別れを告げて以降は・・・主人公の幼児性と、それを甘やかす市川拓司にうんざり!

市川作品の主人公たちは押し並べて気弱で受け身。揃いも揃ってということは、たぶん作者の分身的なキャラなんでしょう。
気弱で受け身であることは悪ではありません。わたしも気弱で受け身な人間なので、そんな理不尽を言うつもりも言われたくもありません。
でも、人との関わりの中では、気弱が無責任になったり、受け身が事なかれ主義に陥ってしまうことがあります。実際、この主人公の後半33.5%の言動はそのようになっています。彼が自発的にやるのは、旅立つ直前の花梨とのペッティングくらいで(これもかなり受け身だけど)、後はひたすら受け容れて待つだけ。
そして、市川拓司は、主人公に都合のいいように、結婚紹介所で知り合った女性から交際を断らせたり、父親に花梨との仲を取り持たせたり、人と人は強い力で引き合っているから座して待っていても再会できる、みたいな調子のいい人生観をでっち上げたり・・・(以下略)。とにかく、脇役たちを総動員して乳母のように甲斐甲斐しく主人公の面倒をみます。その主人公は、作者の分身なわけで・・・

市川作品で主人公が母親に甘えるシーンは記憶にありませんが、マザコン臭がプンプンします。「男は誰しもマザコン」みたいな一般論をはるかに超えたレベルで。恋愛に対する態度は、ゆりかごでママのミルクを待つ乳児と変わるところがなく、そんな願望をバーチャルに実現し、かつ正当化することが、この作家のモチベーションのようです。
市川拓司の純愛とは、(主人公に対して)惜しみなく与えられる母性的な無償の愛と肉欲との歪な合成物。純愛に擬装された依存と執着。

小説が妄想の産物としても、わたしにはこういう妄想はキモイです。久々に味わったこの不快感は・・・『パイロットフィッシュ』(大崎善生著)に通じるものがあります。

でも巷での評判はなかなか良いみたい。わたしは人一倍マッチョな人間なのか?古風な男性観の持ち主なのか?それとも曲解している?
しかし前述の「男は誰しもマザコン」が事実だとしたら、男性読者がこれを受け容れるのは理解できなくもありません。
では、女性読者はなぜ?母性本能をくすぐられるのか?

ついでみたいでなんですが、奇病は毎度のこととは言え、こういうのはストーリーの軸に組み込まないと(たとえば『いま、会いにゆきます』のタイムスリップみたいに)、取って付けた感じになって興を殺いでしまいます。

とにかく、冒頭から66.5%あたりまでがかなり良かっただけに、残念です。
sonotokixkarexyorosiku.jpg
  1. 2006-06-13 09:23:28
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一瞬の光 (白石一文)

この作家のデビュー作です。

相性が悪いと言うか、これまでに読んだ2作品で同じ種類のモヤモヤとした読後感が残ったので敬遠していた作家ですが・・・アクセス解析をチェックしていたら、この作家名で検索して来られる方が意外と多いので、もう少し充実させよう、ということで読んでみました。動機としてはちょっと不純。

大企業内での権力抗争と、恋愛の2つの流れがあって、仕事人間が愛に目覚める、みたいな構成になっていますが、連携がいまいち円滑ではなくて、別々の話が同時進行している感じ。チグハグということになりますが、それぞれの流れはなかなか読み応えがあります。

作家一家に育っただけに、それなりに腕を磨いてきたのだと思いますが、とてもデビュー作とは思えないくらいに、文章の密度が高くて、安定感があります。
それと、派手な演出はありませんが、先を予測させない展開。前述のチグハグさもあって、分量は過剰気味ですが、そのわりに緩みを感じさせません。

でも、またもやモヤモヤとした読後感。気質的に合わないみたいですね。
モヤモヤということは、ハッキリしていない状態。明らかな拒否反応ではない。むしろ、概ね肯定的なのだけど、ある部分がひっかかって、そのひっかかりが個人的には看過し難い。そんな感じです。

(以下ネタバレ)
この主人公=語り手は顔良し、頭良し、運動神経良しのスーパーエリートという設定で、敵対者や見限った相手には容赦しない酷薄なキャラ。そんな彼が、仕事を捨てて、植物状態の女性への愛に目覚める、という展開は一見感動的なのですが、そのために、意に染まない部下を左遷するように、それまで付き合っていた別の女性を切り捨ててしまうのですね。気持ちが切れたら別れるのは仕方が無いとしても、切り捨てるような別れ方はシックリしません。身勝手さはそのままで、仕事から恋愛に宗旨替えしただけ、のようにしか見えなくて、読後感が濁ってしまいました。最後まで主人公の我執は消えなかった、というのは現実的な幕の引き方ではあるけれど、どうしてもカタルシスは弱くなります。
狙ってこうしたのか、作者の人間性の発露なのか・・・
isshunxhikari.jpg
  1. 2006-06-07 15:04:29
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歯車 (芥川龍之介)

芥川龍之介は、身内に猛獣を囲っていたようです。それは創作力の後押しになったかもしれないけれど、その一方で絶え間なく苛んだようです。35歳にして自ら命を絶ったのもその流れでしょうか?

「人生は地獄よりも地獄的である」(『侏儒の言葉』)と言い切った彼は、しかしその苦痛を生々しく作品ににじませることをしていません。
たとえば、現代の若手作家金原ひとみも身内に猛獣を囲う一人ですが、この人は翻弄される自分、足掻く自分を作品の上にさらけ出せして見せます。まったく飼いならせていない状況を、そのまま商売のネタにしています。
芥川龍之介は、おそらく発達しすぎた知性や美意識ゆえに、醜さを醜いままに、愚かさを愚かしく露出することを徹底的に忌避しています。そうすることが新たな苦痛の火種になっていたかもしれませんが。

生き様を回顧した『或阿呆の一生』の序文で、彼は「僕はこの原稿の中では少くとも意識的には自己弁護をしなかつたつもりだ。」と断っています。確かに自己弁護は無いかもしれないけど、内奥をさらけ出す率直さは微塵もありません。極限に追い込まれてもなおカッコつけずにはいられない、ポーズをとらずにはいられない。美学なのか、業なのか?

遺作の1つである『歯車』は、おそらく数ある芥川作品の中でも最も陰鬱な作品で、おそらく彼なりに精一杯生々しくさらけ出そうとした作品で、それゆえに既読芥川作品(せいぜい2割程度)中最も近しく感じられます。
主人公を苛む幻視と絶え間ない死への連想。ついに狂おしい連想は語り手の頭をはみ出してしまう。
『歯車』は芥川龍之介を見舞った地獄の、ささやかなドキュメントではないでしょうか。

自殺者の心理を十把一絡げに語ることはできませんが、彼の自殺を芸術的な、あるいは思想的な破局として説明したがる人は、たぶん根っこのところで人の心とか小説を分かっていない、と思います。
え、誰に向かって言ってるかって?まあいいじゃないですか(笑)
haguruma.jpg
  1. 2006-06-03 06:52:02
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ロードス島戦記6,7 - ロードスの聖騎士 (水野良)

ロードス島戦記完結編。
第6巻・第7巻は『ロードスの聖騎士』上下巻に相当します。

まあ、なんと言いましょうか、こんなもんかなぁ、というところでしょうか。期待は下回るけど、予想は裏切らない、みたいな感じで。

第5巻まではパーンという騎士が主役でしたが、完結編にいたって、第6巻で初登場のスパークという人物が主役に躍り出ます。パーンは憧れの対象に格上げ。第1巻から15年の月日が経過しており、パーンはすっかり30男。一気に若返らせるのは理解できますが・・・首を挿げ替えてパーンの冒険をなぞっている印象が無きにしも非ずで、二人が直接共演する場面では、微妙に被ってます。
第5巻『王たちの聖戦』で触れたようにパーンのキャラは第2巻以降膠着気味なので、主役の挿げ替えは英断ではありますが、本をただせばキャラ造形が弱いということか。

ただし、スパークの冒険自体はそれなりに楽しめますし、内面の丁寧な描写はパーンの若手時代(第1巻)を上回ります。作者のスキルアップの成果か?

後半は、ロードス島内各地で同時進行する戦闘が、畳み掛けるように小気味良く場面転換され、盛り上がります。
ただし、敵方が腰砕け気味なのと、クライマックスがこじんまりなのとで、はじけ切れない恨みはあります。
でも、こんなもんでしょう。一気に読ませる勢いがあるし、濃淡ありますが、第1巻からの複数の流れが、丁寧に総括されています。


《シリーズ全体を振り返って》
この手の冒険系ファンタジーに期待するのは、読み終えることが悲しくなるような魅力的なキャラ&世界観、飽きの来ないストーリーテリングに、クライマックスでの興奮とか高揚。

『ロードス島戦記』は、いささかこじんまりとしていますが、世界観は煮詰められているし、終盤手詰まり感が漂うも、キャラの魅力は否定できません。

物足りないのは、盛り上げを含めたストーリー構成。丁寧に造られていて、弛緩することはありませんが、長丁場を維持するには腰が弱いか?

1つは、クライマックスでのサプライズが弱いです。このあたりまでかな、というところで予想通り潮が退きます。できればそこでもう一伸び、いい意味で期待を裏切ってほしい。そこまでやるのか!、と圧倒して欲しい。

もう1つは、これはわたしの趣味が入りますが、もっと因縁とか情念を張り巡らせて欲しい。このあたりが淡白で、その淡白さが爽やかな読み味につながっているから、作家の個性と看做すべきかもしれないけど。
正義とか道理とか愛とかの“光”を際立たせるのは、恨みとか嫉妬とか利己心などの“影”。“影”が薄いと、ドラマも薄くなって、長丁場で息切れしてしまいます。完結編での主役交代劇の一因かと。
ライトノベルというジャンルに求めるべきものではないのかもしれませんが・・・

というわけで、物足りなさはあるものの、このジャンルの面白さ、醍醐味を味わえるのは間違いなくて、飽きっぽいわたしが、さほどのストレスや忍耐を感じることなく読み通せました。
lodostosenki6-7.jpg
  1. 2006-06-01 09:27:39
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