ぶっき Library... 2006年05月

ぶっき Library...
読んだものの感想を自由に。



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ロードス島戦記5 – 王たちの聖戦 (水野良)

第5巻『王たちの聖戦』は、シリーズ中盤の山場を形成する第3巻~第4巻(『火竜山の魔竜』上下巻)と、(未読なので想像だけど)シリーズの掉尾を飾るはずの第6巻~第7巻(『ロードスの聖騎士』上下巻)とに挟まれています。つなぎ的な印象が無きにしも非ず。

3話構成になっていて、連作短篇~中篇集のノリです。各話の舞台はロードス島内の異なる3つの国で、主人公たちが侵略者撃退に助太刀し、各国の為政者たちに恩を売る、というパターンが繰り返されます。それぞれは外伝的冒険譚として楽しめますが(とは言え、次巻以降の流れを左右しそうな出来事がところどころ散りばめられています)、一冊通してのテンションは控え目。

各巻毎にテーマとかトーンを変えてくるこのシリーズ。
本書では、3つの冒険(戦い)を通して、主人公は各国の王たちと共に戦いながら、彼自身王に立つことを請われ、王とはなんなのか?自分は何をしたいか?に思いを巡らせます。
ここまでの主人公の活躍ぶりからして、王になることを望まれる、という展開には少し無理を感じます。本人が謙遜して固辞するから、筋は通っていますけど・・・

第3巻・第4巻(『火竜山の魔竜』上下巻)でも触れましたが、主人公のキャラが第2巻以降膠着気味。戦士としての成長は描かれているけれど、それ以外の面では思考や行動のパターンが固まっていて、面白味は今ひとつ。恋仲のエルフ(≒妖精)との関係も然り。このあたりが限界なのかも・・・

筆致は前作と同様に危な気が無くて、安心して楽しめます。

いよいよ第6巻~第7巻(『ロードスの聖騎士』上下巻)はシリーズ完結編。第5巻はその布石という意味合いがあるのかな?
ここまで来たら、シリーズ制覇します!(読みやすいから、気合入れる必要は無いけど・・・)
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  1. 2006-05-30 20:32:08
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ロードス島戦記3,4 - 火竜山の魔竜 (水野良)

『ロードス島戦記』第3巻・第4巻は『火竜山の魔竜』上下巻に相当します。

17年も前に刊行された本にこんな誉め方はどうかと思いますが・・・第1巻、第2巻の感想で指摘した物足りない点にきっちりと対応されていて、着々とバージョンアップ!

第1巻『灰色の魔女』での不満は2点。
1点目はストーリー展開が駆け足になっていることで、これは第2巻で修正されていて、この『火竜山の魔竜』でもOKです。
2点目は、主人公(人間)とエルフ(≒妖精)の女の子の恋愛模様に、異なる種族であることに起因する心の綾が感じられない点。ごく軽い扱いなので物足りませんが、第3巻でようやくフォローされています。

第2巻『炎の魔神』は、第1巻に比して密度はアップしていますが、作者の目線が主人公に集中しがちで、物語として広がらない恨みがあります。
『火竜山の魔竜』では、脇役たちがクローズアップされて、群像劇としての広がりが感じられます。この点が『火竜山の魔竜』の最大の収穫ではないでしょうか!?

“支配の王錫”(強力な魔力を持つ宝物)争奪戦と狂戦士オルソンの心のドラマが物語の屋台骨になっていて、つまり複線的な構成ですが、これを背景に各キャラがこれまで以上に活き活きと振舞っています。
意地の悪い見方をすれば、主役の二人のキャラが弱いので(型にはまり気味)、この二人を軸に何巻も引っ張り続けるのは厳しそうだから、丁度いいタイミングで目先を変えたと言えるかも。

イラストの雰囲気から軟派なイメージを持たれるかもしれませんが、そう思いながら読むと意外にシリアスで、前述の狂戦士オルソンの心のドラマなんかは、ありきたりな感じではなくて、作者としての人の心に対する洞察が映し込まれています。

というわけで、前2巻の基本的な部分での引っ掛かりが解消されて、ラノベ寄りの冒険系ファンタジーとして過不足を感じさせない仕上がり。このジャンルのパイオニアとなったことが納得できる読み応え。

しかし読者とは欲深いもので、基本的な部分での引っ掛かりが解消されても、全面的に満足ということにはなりません。
ストーリーの一方の軸である“支配の王錫”(強力な魔力を持つ宝物)争奪戦の盛り上げが今ひとつ。じっくりと引っ張ったわりにあっけない幕切れで拍子抜け。ここはもう一押ししてくれなきゃ!
もう一点は贅沢な不満なのだけど、上で主役のキャラが型にはまっていると指摘しましたが、これはすべてのキャラに当てはまって、各々個性的ではありますが、みんながその個性の範囲内でお行儀良く振舞っていて、だから違和感は生じにくいけれど、意外性とか驚きは控えめ。これは、ここまでの4冊の印象ですが。
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  1. 2006-05-28 07:20:56
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白夜行 (東野圭吾)

作者と読者の駆け引きは小説の面白さの基本的な要素。そして、東野圭吾は、この駆け引きの面白さを追求し、巧みに使いこなす名手。
『白夜行』は、そんな名手東野圭吾が、腕によりをかけた逸品。

この作品は、一組の男女の生き様を描いたミステリー小説風大河ドラマで、主役二人の直接的な心理描写が無いし、二人が接触するシーンに限らず決定的な場面が意図的にスルーされているし、出来事の因果関係はしばしば明示されません。作者は、第三者的な視点からの断片的なエピソードを累々と積み重ねることで、一組の男女の生き様や心理や触れ合いを感じ取らせる、という究極的な駆け引きの妙に果敢に挑戦しています。
いつ二人が接触し、どんな真情を吐露し合うのか、という期待がページをめくらせる原動力にもなっていて、技巧的な挑戦がドライブ感につながる、という巧妙な仕掛け。

エピソードが連なる中で、表面的な出来事の奥に別のドラマが次第に浮かび上がってきますし、終盤には二人の主役の存在感が強く感じられますから、このアクロバティックな挑戦は成功と言えそう。これを実現させた構成力と安定した筆致には目を見晴ります。
それでいて、東野作品のセールスポイントである読みやすさは損なわれておらず、分厚いにもかかわらず、一気に読めます。

しかし、ミステリー小説的な駆け引きは諸刃の剣。なぜなら、真相をカモフラージュするために、容疑者である主役二人を克明に描写できなくて、読者の感情移入を妨げてしまいます。
『白夜行』では、多くのエピソードを丹念に積み重ね、時代的背景を織り込み、刑事役を使い回すことで、目覚しくリカバーされていますが、やはり限界はあって、最後まで主役二人との距離感は縮まってきません。この作品を人間ドラマとして読もうとすると、ミステリー的な駆け引きのゲーム性が、感動を薄めていると感じられます。

容疑者を直接的に描かないミステリーとして有名な宮部みゆきの『火車』では、追跡者=調査者が語り手に据えられて、語り手の思い入れを介在させることで容疑者に確固とした存在感が与えられています。
情感を排した三人称語りの『白夜行』の方がある意味果敢で潔いのですが、感情移入の足がかりの乏しさは否めません。
これだけで両作品の優劣を決めることは出来ませんが。

というわけで、作者の強烈な意欲と(作家としての)美学を感じるし、読み応えはあるし、何だったら傑作と呼んでもいいくらいですが、個人的には不完全燃焼。
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  1. 2006-05-24 12:31:49
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ロードス島戦記2 - 炎の魔神 (水野良)

第1巻がロードス島全土を巻き込む大掛かりな戦いを描いていたのに対し、この『炎の魔神』はこじんまりと島内の一国の内戦に焦点が絞られています。戦い模様がこじんまりとまとめられているかわりに、主役の二人の成長にウェイトが置かれています。
大風呂敷を広げたために後半駆け足になった第1巻『灰色の魔女』に対し、こちらは隙の無い仕上がり。揚げ足を取りたくなるような粗は見当たりません。
第1巻との比較では、世界観の構築がより緻密になり、臨場感が安定的に保たれています。勧善懲悪の単純な構図になっていないところもなかなか。そして主人公の成長振りが頼もしい。
おそらくシリーズ全体の流れの中では地味なポジションにあると思われますが、個人的にはなかなか楽しめました。

(この段落、微妙にネタバレです)
欲を言えば、盛り上げにもう一工夫欲しいです。エピソードがA→B→C→Dと時系列に整然と展開していくので、伏線の面白さとかドキドキ・ハラハラが控え目になっています。
後半、炎の精霊を使う敵軍に苦戦した主人公たちは、対抗策として風の精霊の元に向かいますが、主人公たちが目的を果たして帰還するまで戦争が一時停止しています。どうせなら、戦争を同時進行させて、あわや敗戦というギリギリのところで主人公たちを登場させる、くらいのことはやって欲しいです。
もしかしたら、この小説のルーツはロール・プレイング・ゲームなので、ゲーム・プレイヤーの分身としての主人公に作者が釘付けになっているのかも。

ところで、このブログは可能な限り(?)キャラクターとかストーリーに触れないスタイルなので、単一シリーズ内で複数冊読んでも、感想は“以下同文”になりがち。この本もどうしようかと迷ったけれど、第1巻とは少し違うことが書けそうなので、記事にしてみました。第3巻以降については、今のところ何とも言えません。
そもそも、今さらこのシリーズの感想を面白がって読んでくれる方がどの程度いるのか分かりませんが・・・
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  1. 2006-05-23 16:02:26
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ロードス島戦記 - 灰色の魔女 (水野良)

USENが運営する無料動画配信サービスGYAOでアニメ版『ロードス島戦記』を視聴。凝ったキャラクターデザインと音楽を楽しみましたが、展開があまりに粗っぽい。そこで、小説版を手に取りました。

この『灰色の魔女』は全7巻中の第1巻。アニメ版でいうと、全13話のうち8話までに相当します。
感想を書くとしても全巻読了後かと思っていたら、独立した物語として読める程度には完結性があるので、単体で採り上げます。

長耳エルフ今となっては、和製ラノベ系ファンタジーのパイオニアとして、大規模なメディアミックス展開(小説、ゲーム、アニメ、コミックス、音楽・・・等)の先駆けとして、あるいは長耳エルフ像(左の画像は、本書のイラストより)の発案者として語られることの多い本シリーズ。
人気シリーズ誕生の背後にはさまざまな外部要因が働いていたかもしれませんし、古典ゆえの素朴さは避け難いでしょうけど、何にせよ時代を切り開いた作品にはそれなりのパワーとかダイレクトな面白さを期待できます。

この種の作品ではテーマ性とかリアリティは二の次。ポイントは、一緒に冒険しているような気持ちになれる臨場感と、飽きさせない設定とか展開の面白さ・妙味。
このシリーズ第1作『灰色の魔女』は、主要キャラが次々と登場し、世界観が形成される前半部分、つまり“つかみ”はなかなか良いです。ここはシリーズ全体にとっても“つかみ”にあたるわけで、期待感を高めてくれます。
しかし、その後の展開(戦争~灰色の魔女との戦い)はやや駆け足。まあ、アニメ版に比べたらはるかに丁寧ですが。キャラや世界観の紹介パートである前半より各エピソードの描写が軽くなるのは止むを得ないとしても、ちょっと行き過ぎかも。
まあでも、ストレスを感じることなく最後まで一気読みですから、楽しめました、と言うべきでしょうか。

いい大人のわたしとしては、2巻以降もう少し捻ってくれないとやがて飽きてしまうかも。
たとえば主人公(普通の人間)は不死の存在であるエルフ(≒妖精)の女の子とラブラブになるのですが、彼女が不死であること、異なる種族であることなんかを恋愛模様の彩りに使う、くらいのことはして欲しい。
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  1. 2006-05-22 22:21:04
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洪水はわが魂に及び (大江健三郎)

大江健三郎は学生時代に初期作品をいくつか読んだけど、言うまでもなく記憶の彼方。最近読んだのは、ここにアップしてある『万延元年のフットボール』のみ。もう一つくらい読んでみようということで、選択が適切かどうかは分からないけど、本書を手に取りました。

ストーリーとしては、知恵遅れの幼子と核シェルターで隠遁生活を送る主人公が、社会からはみ出している若者たちの集団と共同生活を始めるが、陰謀と思い込みと偶然の結果、やがて彼らは反社会化し・・・というような展開。

『万延元年のフットボール』がかなり癖っぽかったので(特に第一章)警戒しながら読み始めましたが、こちらは随分読みやすいです。少なくとも、文体への抵抗感はありません。

ただし、潤いを欠く乾いたタッチはそのままで、そのぶん抒情の表出は抑え目。文体だけのことではなくて、情緒の捉え方が素っ気無い感じ。個人的には欠点と感じます。なぜなら、現に、愛情とか友情なんかを描いている場面が味気なく感じられるから。上手いとか下手じゃなくて、作者の体質に起因しているようですが・・・

たとえば、作者本人をわかりやすく連想させる主人公の境遇とか、主人公が「樹木の魂」「鯨の魂」という訳の分からないものと交感する、といういかにもな設定とか、ストーリーの奥に仕込まれた意味を読み解けと言わんばかりの仕立てになっています。
それはそれで良いと思うのですが、ひっかかるのは、奥にある意味(作者の危機意識とか自意識とか)のほのめかし方があまりにも露骨で、そのために表のストーリーがハリボテっぽく見えてしまう点。もうちょっと表の物語と裏の意味の連携をきわどくして欲しいところ。ここまで露骨だと、こちらの意識は最初から意味の解読に向かうので、キーワードを追いかけるような味気ない読み方になってしまいます。あくまでも、わたしの場合は、ですけど。

巨匠の作品らしくスタイルとしては完成されている感じだし、キャラは立っているし、クライマックスに向けての盛り上げは堂々としているけど、上の2点のためか、心に響いてくるものは乏しかったかな。
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  1. 2006-05-18 15:14:47
  2.  大江健三郎
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プラスティック・ソウル (阿部和重)

『グランド・フィナーレ』が「?」だったこともあって、阿部和重の最新刊を手に取ってみました。久しぶりに不条理系に回帰か?と思ったら、執筆されたのは『ニッポニアニッポン』の前とのこと。だから以前のスタイルだったみたい。それでもって、作者自身が出版を渋っていたらしい。
そのあたりの経緯が巻末の解説で説明されていて、ついでに阿部和重の小説観の変化なんかがわかって興味深いのだけど、対談(これも解説の一部)の中で作者本人が『プラスティック・ソウル』に気持ちが乗っていないことを告白しているので、作品の印象はネガティブ方向に引っ張られがち。

小説の型を意図的に壊していくタイプの作品では、壊し方そのものはそんなに重要ではなくて、というかただ壊すだけだったらヘタクソと何も変わらなくて、小説の型を壊すことは小説というジャンルと知的に戯れることであって、壊し方を通して見えてくる知的な企みとか大胆な発想がお楽しみのポイント。
この種の面白さは『ABC戦争』を初めとした最初期の作品にこそ色濃くて、世評の高い『インディヴィジュアル・プロジェクション』あたりになるとかなり手堅い。そのぶん安定感とかオーソドックスな意味での読み応えは増すけれど。
このタイプの小説としては現時点で最後期の作品となる『プラスティック・ソウル』もそれほどハメをはずしていなくて、というか『インディヴィジュアル・プロジェクション』よりさらに大人しめ。小説としてつまらなくはないし、平凡でもないけれど、壊すことの愉悦も、何をやらかすか分からない緊張感も、あまり感じない。濃い文体で書かれた変な小説、というところか。

三人称語りと一人称語りが前触れ無く入れ替わる。章を隔てての入れ替わりならありがちだけど、ここでは単一の段落の中で節操無く切り替わる。しかも一人称で語る人物は二人。最初はちょっと変な感じがするけれど、実は読みやすくて、すぐに慣れた。読みやすいのはいいのだけど、それだけインパクトは控え目。
ただし、この節操のない視点の切り替えや行きつ戻りつする進行が、主人公の場当たり的なキャラクターと同調しているように感じられて、それも狙いのうちだとしたら、上手いかも。それくらいかな?
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  1. 2006-05-10 16:44:59
  2.  阿部和重
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セカチューを叩きつぶせ!

《セカチューを読みたくなったきっかけ》
『世界の中心で、愛をさけぶ』は通常だったら手を出さなタイプの作品です。この本を読もうと思ったのは、ご存知メッタ斬りコンビによるこの記事を読んだから(下段です)。
原文を読んでもらうのが一番ですが、主要なところを以下に抜粋しておきます。

大森氏:
(前略)・・・今、文芸全体のテーマって『世界の中心で、愛をさけぶ』をどうするかってことじゃないですか。「作家なら、ぐだぐだ陰口言ってないであれを正面から叩きつぶしてこい!」と(笑)。「好き好き大好き超愛してる。」はちゃんと叩きつぶしにいってる作品なんですよ。

大森氏:
舞城王太郎は『DEEP LOVE』や『世界の中心で、愛をさけぶ』で泣いてる女子高生にどうやったらメッセージを伝えられるのか、たぶんちゃんと考えてる。だから、「愛は祈りだ。僕は祈る」なんだよ。文芸誌なんか知らない読者にも伝わるように、思いきり素朴に、カメラに向かって正面から語ってる。・・・(後略)

豊崎氏:
『世界の中心で、愛をさけぶ』ってむき出しに俗情と結託しているわけじゃないですか。俗情って何かっていうと、“メタ化”されてしまったものですよね。・・・(中略)・・・ある種の安い共通理解のもとに、これは愛です、恋です、人が死ぬと悲しいです、女の子は白血病で死ぬべきですみたいな“メタ化”された設定しか出てこない「セカチュー」には、リアルな感情は描かれてないと思う。・・・(後略)

最初にこの記事を読んだときは(『セカチュー』を読む前のことです)、中身よりもプロモーションでバカ売れした『セカチュー』とその愛読者たちを揶揄しているのかな?と思いました。でもよく読むとそれだけじゃ無さそう。揶揄にありがちな、高みから見下ろすような余裕が感じられません。二人(特に大森氏)の論調はかなり攻撃的だと思いませんか?

《業界の危機感》
で、『セカチュー』を読んでみて何となく分かったような気がしました。ひょっとしたらこれはかなり危険な小説かも。いや、危険なのはこの作品ではなくて、これがバカ売れしてしまったという事実の方ですね。

『セカチュー』って技量の面でも内容的にも素朴な作品で、個人的に意外だったのは、小説慣れしていない読者をたぶらかすようなあざとさすら見当たりませんでした。

あの手この手を駆使してもさっぱり本が売れない時代に素朴な『セカチュー』が一人勝ちしたということは、作家を含めた業界人たちのプロの仕事に対する一般大衆の関心の低さの表れとも言えるわけで、今さらではありますが業界関係者の危機感が煽られたとしても不思議ではないと思います(『セカチュー』の著者、片山さんもプロの作家なんですが・・・)。
そう、業界ぐるみで仕掛けて売った綿矢りささんあたりとはまるで別次元の事件なのです、たぶん。

《『超愛』は『セカチュー』を超える?》
前述の記事を読む限りでは、大森氏や豊崎氏はもう手遅れかもしれません。『超愛』なんて典型的な小説オタク小説が「文芸誌なんか知らない読者にも伝わるように、思いきり素朴に、カメラに向かって正面から語ってる」と感じられる段階でかなりずれてると思うし、「“メタ化”された設定しか出てこない「セカチュー」には、リアルな感情は描かれてないと思う」なんて小説オタクにしか通用しない感覚だと思いませんか?オタクの嗜好や感性を一般大衆に押し付けるのは無理ですよね。一味違う嗜好や感性があればこそのオタクなわけだし。両氏は既にオタク・スパイラル(オタク的発想で脱オタクを語ろうとしてドツボ)にはまってますねぇ。

小説の力を一般大衆に認めさせるという役割を『超愛』に期待するのは無理でしょう。面白い作品ではあるけれど、あくまでも小説オタク(ほっといても小説を読む人たち)にとっての面白さなので、突破力は期待しにくいと思います。

そもそも『セカチュー』を叩けみたいな足の引っ張り合いをしている時点でダメかも。

《わたしが望むのは・・・》
などとまるで業界通であるかのように御託を並べてしまいましたが、前述の記事と『セカチュー』『超愛』の印象から妄想を膨らませただけなので、変なことを言っているかもしれません。

わたし自身はとにかく面白い小説が読みたいだけなので業界人の立場とかには関心が無いのですが、面白い本を発行し続けられる程度には栄えてくれないと困りますね。
  1. 2006-05-03 11:18:03
  2.  雑談系
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ロリータ (ウラジーミル・ナボコフ)

ナボコフの代表作とされる怪物的作品。

“ロリータ”の語源はこの作品らしいです。この作品の刊行は1955年なので、この言葉の歴史も50年少々。
主人公=語り手はロリコンで(対象は小学6年生くらいの女の子)、孤児となった女の子を毒牙にかけてしまいますが、エロ小説ではなくて、バリバリの文学作品です。エロイ描写自体ほとんどないし。欲情目的でこの本を開くとガッカリします(笑)

読むのは2回目。初読は新潮文庫の大久保訳でした。再読の機会をうかがっていたところ、たまたま新訳(若島訳)が出たという情報をつかんだので、手に取りました。わたしは翻訳の良し悪しにこだわる繊細な読者ではありませんが・・・

この作品には3つの軸がある、と思います。

その1、フェチ的な偏愛と精神的な恍惚の言語表現。
対象は少女の肉体であったり仕草であったりですが、文学的なコミットメントが感じられて、その描写には詩的な薫りが立ち込めています。わたしはロリコンではありませんが、美的愉悦に溺れる感覚には共鳴できます。

その2、欲望が愛情へと変化していくプロセスと激しい葛藤。
王道の心理描写。変態小説(?)かと思わせながら実存の悲劇へと深化していきます。でも、こう展開させるのなら、蜜月期間にあった悲劇の予兆や慄きを後付で語らないで、伏線として仕込んで欲しい。

その3、型破りな文体。言語実験。
これが曲者です。全編に直感的な言い回しや言葉遊びが散りばめられています。難解というのではないけど、付き合うには多少の根気が求められます、たぶん。
しかし、ポイントになるのは中身との調和。調和がなければ単なるお遊びに堕してしまいます。この点はかなり微妙。今回読んだ若島訳本では、文体に硬さがあって、これが上述のその1、その2と協調し切れていないように感じられます。果たして原文はどうなのか・・・
これだけ文体が型破りだと、翻訳のせいなのか、原文がそうなっているのか、判断しかねるところです。

巻末にナボコフ本人による読み方のガイドが付いているので、読み外す心配はありません。なかなか良心的(笑)

ちなみに2度映画化されているようです。

《翻訳について》
若島訳は原文のテイストにこだわっているとの触れ込みですが、文章のテイストを決めるのは翻訳のアプローチより言葉への感性だと思うので、あんまり真に受けていません。いずれにしても、それを判断できる英語力はないですし・・・。
ただ、本作りのスタンスには好感できません。簡単に言ってしまうと、ナボコフの研究者が、研究成果を誇示するために、一部の専門家並びにそれに準ずる読者のみを意識して作った本、という印象。一般読者への読みやすさの配慮が乏しくて、あとがきはもっぱら大久保訳への対抗意識。読者層が限定される本とは思いますが・・・
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  1. 2006-05-03 11:14:49
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老人と海 (アーネスト・ヘミングウェイ)

この素っ気無いタイトルからは、海釣り好きの老人が登場する渋い小説を想像してしまうかも(このタイトルは直訳)。海が舞台で、主人公が老人であることは間違いないけれど、中身はかなりカッコイイです!しかも、今回読んで感じたのは、思っていた以上に深いということ。

読むのはこれが3回目。過去2回は10代のときで、いずれの回も、切り詰められたハードボイルドな文体から繰り出される、男の誇りとか闘志みたいなものに圧倒されました。
あの感銘に近いのは『あしたのジョー』かな?

感激の再燃を期待して久しぶりに手に取りましたが、意外にも、作品の印象はガラリと変わりました。作品が変わるわけ無いから、変わったのはもちろんわたし。思いがけず、この小説に20年の時の流れを突きつけられました。わたしの立ち位置が変わっていました。

しょっぱかった!
この作品では、男の誇りを賭した生き方の「雄々しさ」と「虚しさ」が背中合わせに描かれています。両者は完全にバランスしていて、作者による誘導めいた気配がないので、読み手の心の状態がそのまま作品に投影されることになります。
10代のわたしに、この「虚しさ」は主人公の誇りとか闘志を際立たせる卓抜な演出として映りました。しかし、今回再読して・・・ヘミングウェイが「虚しさ」をこんなにも濃やかに描いていたとは!意地&名誉の代償と切って捨てるには、あまりにも大きな孤独と空虚。この物語に込められたヘミングウェイの人生観は・・・?

『老人と海』は、男性読者にとっては、心を映し出す鏡のような小説かも。女性読者にとっては???

ちなみに、これの発表から9年後に作者が自殺を遂げたとしたら(公式発表は銃の暴発による事故死だが、一般に自殺と看做されているみたい)、ある程度しょっぱく読む方が正解なのかもしれません。ただ、そういう事情を抜きにして、作品だけから受ける印象では、前述のようにニュートラル(相対する価値が、作者による評価を加えられず、等価で並置されている)と感じられます。

わたしにとっては小説のお手本のような作品です(といっても、わたしは創作しませんが・・・)。シンプルなストーリー+必要最小限の登場人物+引き締まった文章、というギリシャ彫刻のような造形。しかも、ドラマとしてリアリティがあって、臨場感たっぷり。とどめは、読み手の心を映し出す透徹した演出。

長い小説ではないし(長編というより中編小説)、読みやすいです。ただし、新潮文庫版の福田訳は、セリフの言い回しがダサいし、原作の厳しさがスポイルされているような・・・『老人と海』というより『お爺さんと海』みたいな・・・
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  1. 2006-05-03 11:14:00
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魔術師 (ジョン・ファウルズ)

世界的にはそこそこ知られていそうな作家&作品だけど、日本では現在絶版中。

《作者》
ファウルズはイギリスの作家で、今年(2005年)というかほんの2ヶ月ほど前に79歳で亡くなりました。代表作とされるのは『コレクター』『フランス軍中尉の女』『魔術師』で、いずれも映画化されています(が、必ずしもエンタメ系の作品ではない)。ファウルズの作品を読むのは『コレクター』に次いで2作目。

《作品の概要》
一言で言うと、知的というか哲学的なエンターテイメント。恋愛あり、サスペンスあり、ミステリーもどき(犯罪は起こらないけど、謎解きの演出はミステリー的)ありのエンタメ路線で、かなりのドライブ感で作品世界に引きずり込まれて、ふと我に返ったらファウルズ独自(?)の哲学にどっぷり浸っている、という趣向。

登場人物たちの駆け引きを通して作者と読者が駆け引きをする、という多重構造になっていて、知的にも感情的にも絶叫マシーン並みに翻弄されます。
エンタメ部分での卓抜な演出力と、知的で真摯な思想が、計算し尽くされたあざとさでもって効果的に融合されていて、知の企みの奥深さ、したたかさに舌を巻きました。
タイトルの『魔術師』は直接的にはとある登場人物のことを指しているようだけど、ファウルズ自ら小説の魔術師たらんと根性入れて書き上げた一作と感じました。

以下ネタバレです。

主人公はイギリス人青年で、恋人をほったらかしにして、ギリシャの孤島の学校に教師として就職します。その島にはさる富豪の別荘があって、主人公は富豪が仕掛けてきた謎めいたゲーム(ヴァーチャルではなくリアルなゲーム)に引き込まれます。何気なく始まったゲームは、駆け引きとどんでん返しを繰り返しながら迷宮化し(何が真実で何が虚構なのか?このゲームの目的は?)、そこに恋人や謎の美女が・・・。なにしろ臨場感溢れる演出と女性の描写が素晴らしい。
テンションが最高潮に達したところで、営々と積み上げられてきた虚構が音をたてて崩れ去り、作品がその本性を現します。

《テーマ》
この作品のテーマは“自由”で、それも政治的あるいは社会的自由ではなくて(それにもつながるのだろうけど)、人として自由であるとはどういうことなのか?みたいなことで、哲学的なニュアンスが濃厚です。ファウルズは率直に自分の考えを表明しているけど、ただしかなりダイジェストになっているみたいで、この作品だけでその全貌を理解するのは困難。わたしの場合、訳者の解説を助けとしつつ、銃殺刑シーン、裁判シーン、ラストシーンをつき合わせることで、イメージを得ました。
ファウルズの主張を理解しなくても(理屈の面で作者に付き合わなくても)ある程度は楽しめそうだけど、それだと奇奇怪怪な恋愛小説として読み終えてしまう危険があるし、どこかスッキリしないと思います。
ただし、主張が率直であるがゆえに、違和感が生じる可能性はあるかも...

《読みやすさ、とか》
40年ほど前の海外文学作品ですが、翻訳を含めて読みにくさは感じませんでした。
執筆当時(60年代)のイギリス社会に対する風刺がかなりあって、想像力で補いつつ読む必要がありますが、さしたる障害にはならないと思います。
訳文を通じても感じられるもったいぶった表現とか、シェイクスピアやギリシャ神話が一般教養といわんばかりに(日本人の庶民から見たら)無造作に引用されているとか、このあたりはいかにもイギリスの小説っぽいかも。好い悪いは別にして。

《余談》
余談ですが、これを読みながら村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を何度か想起しました。トータルで似ていると言うつもりはないし、村上春樹の文体とか雰囲気を重視する読者の好みには合わないかもしれないけど、直接的には戦争ネタの効果的な使い方、間接的にはエンタメ的要素を駆使しながら抽象的なテーマを表現する手法。村上春樹の知的な部分が好きな人にはお薦めできるかも。
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  1. 2006-05-03 11:13:12
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カラマーゾフの兄弟 (ドストエフスキー)

《作品について》
ドストエフスキー最後の作品です。2部作で構想され、『カラマーゾフの兄弟』はその第1部に当たりますが、作者は本作品完成後まもなく他界しています。
おそらく、作家として、思想家としての集大成とすべく構想された作品であり、未完ゆえにどこまで集大成になっているかはともかく、数あるドストエフスキーの著作の中でも特別な位置を占める作品でしょう。

《完璧な作品?》
難解でなる大作だけに、わたしのレビューを読んで「この本を手にとってみようか」と思う人はほとんどいないだろうから(?)、既読者向けに毒を吐いて終わりにします。

本書のあとがきによると、かの小林秀雄が『カラマーゾフの兄弟』を「およそ続編というものがまったく考えられぬほど完璧な作品」と賞賛したそうで、訳者は賛同の意を以ってこのくだりを引用しています。小林秀雄本人の文章を読んでいないので、前後の脈略は分かりませんが、本当にそうなのでしょうか?わたしには、続編を前提としていることが自明と感じられましたし、それを別にしても、到底「完璧な作品」とは言えそうもありません。

真摯に深められた思想を、切れば鮮血が迸りそうな人間のドラマとして具現するのが、ドストエフスキー作品の真骨頂。前半の第5編~第6編(『反逆』~『大審問官』~長老の辞世の長広舌)で提示されている壮大な命題に対して、『カラマーゾフの兄弟』の終わり方では何ら回答できていなくて(具体的には、神と社会制度のあり方について)、これが中間点であることは疑問の余地が無いと思いますけどねぇ。
さらに、少年たちや小悪魔少女にしたって、彼らが続編への布石として登場していることは間違いないと思います(そう看做さないと、尻切れトンボに過ぎます)。
作者が作中で何度も触れている通り、書かれなかった続編を受け入れる、つまり未完と看做すのが正解でしょう。

続編云々以前に、「完璧な作品」どころか、後半に入って失速気味で、わたしは死を目前にした作者の体力・精神力の衰えを疑ってしまいました。

完璧と言うなら、それは第3部まで(全体構成は、序+第1部~第4部+エピローグ)。第5編~第7編(第2部の途中から第3部の序盤)での、『反逆』&『大審問官』の章→長老の辞世の長広舌(ここで『反逆』&『大審問官』と対極的な立場が示される)→『腐臭』の章(ここで『大審問官』が部分的に現実化される)の一連の悪魔的展開といい、第8編~第9編(いずれも第3部)でのミーチャ(長男)が連行されるまでの畳み掛ける迫力といい(ドストエフスキー・クレッシェンド全開)、ゾクゾクしました。このあたりを読んでいるときは、空前絶後の大傑作か!?とテンション上がりましたが、既に述べたとおり第4部で失速。

思いつくところを挙げてみます。たくさんあります。
第10編『少年たち』は、前述のように続編への布石の意味合いゆえと推察するけど、『カラマーゾフの兄弟』単体の中では浮いているし長すぎる。そして、最大の問題は、長老の死を潜り抜けた新生アリョーシャ(三男)初登場の重要なパートであるにもかかわらず、全然キャラが立っていない。
第11編『兄イワン』は、もはやドストエフスキーの作とは思えないほどに段取り的で、イワンの発病・帰郷や彼とカテリーナの関係の深化など、第3部までの筆致であれば大いに盛り上がったであろう重要な場面が、ことごとく取って付けたような説明でやり過ごされているし、イワンとの信頼関係を一方的に妄想してのスメルジャコフの犯行は、いかにもお粗末。他の作家ならともかく、ドストエフスキーとしては密度が薄すぎるんです。
第12編『誤審』は、全編のクライマックスとしてそれなりに盛り上がりはするけれど、基本的には第11編までに提示された情報に沿って成り行くだけなので、想定範囲内の展開。というか、テーマそっちのけの法廷サスペンスとしての盛り上がりであって、この作品のクライマックスとして十全ではありません。続編ありきの中押しと考えても、ちょっと物足りません。

ドストエフスキーは、過剰なことはあっても、うっぺらさ、段取り臭さとは無縁な作家なので、これが本来の実力とは考えにくいから、病気(結核が死因らしい)による衰えか、あるいはそのために完成を急いだせいなのか・・・

《結び》
いろいろネガティブなことを書き連ねたけれど、繰り返すと、第3部までは凄いと思うし、それをもって『カラマーゾフの兄弟』をドストエフスキーの最高傑作と看做すことはアリだと思うけど(物語の完成度とは別のものを期待する読者は少なからずいると思うので)、無批判に持ち上げる姿勢に白けて、軽く毒を吐いてみました♡
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  1. 2006-05-03 11:12:11
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罪と罰 (ドストエフスキー)

世界的に評価の定まった作品なので、好きなポイントに絞ってコメントします。それでも長ったらしくなりそうですが(笑)。未読の方に少しでも興味を感じてもらえたら幸いです。

“純文学並に人間描写にこだわった娯楽作品、というのがわたしのツボ”というフレーズを過去に使いました。『罪と罰』を娯楽作品と呼ぶのは無理があるかもしれませんが、わたしの中ではこのタイプの傑出した作品です(そういう読み方をしています)。

この作品はシンプルな倒叙ミステリーになっていて、すなわち先に犯行の模様が描かれて、それが暴かれていきます。謎解きそのものよりも、それが解き明かされていくプロセスとその中での心理描写に重きが置かれます。主人公ラスコーリニコフの犯罪はかなりの偶然に支えられて成立しているので、ミステリー的な興味から読むと肩透かしになりますが、駆け引きや心理戦は最高レベルのテンションに達していて、それが強力なドライブ感を生み出しています。

じゃあどのあたりが文学しているのかというと、犯行動機とかその後のラスコーリニコフの心理の演出とか。動機そのものは貧しさから血迷っただけというありきたりなものですが、その血迷い具合とか葛藤の描き方が半端じゃないというか大変なことになっています。

手法としては何の変哲もない三人称語りを採りながら、モノローグとか会話がやたらと長くて、その中に心の動きとか人柄なんかもたっぷり盛り込まれていて、その1つ1つがあたかも一人称自分語りのような圧力で迫ってきます。もちろん登場人物は複数いますから“多重一人称自分語り”とでも称したくなるような様相を呈していて、要するに〇人称語りというような方法論を吹っ飛ばしてしまうほどにパワフル。

この作品のトーンを特徴付けているのは、熱に浮かされたような狂気。主人公が始終血迷っているということが大きいけれど、それだけじゃありません。貧しい登場人物たちはプライドとかアイデンティティを打ち砕かれたりあるいはそれらを押し殺したり、富める登場人物たちはエゴの塊となったり虚無的になったり。そんな彼らが前述の“多重一人称自分語り”で激しく自己主張してきます。まともな登場人物もいるにはいるけれど、全体として不穏な空気が充満していて、しかも一触即発の緊迫感がみなぎっています。
いや、みなぎっているだけではなくて何度となく炸裂します。夏の花火みたいにパンパンと。特にヒロイン(ソーニャ)の継母の発狂は身の毛がよだちました。

終盤に入ると、単独でも文学史に残りそうなクライマックス・シーンが怒涛のように連発されます。緊迫の限りが尽くされたラスコーリニコフ(主人公)とポルフィーリイ(いわゆる刑事役)の心理戦、ハードボイルドなタッチで描き出されるスヴィドリガイロフの死(個人的には作品中最もカッコイイ場面だと思う)、葛藤することの苦しさと哀しさが美しくも激しく描き出されたラスコーリニコフとソーニャの対話、そして胸が締め付けられるような幕切れ。

キャラは滅茶苦茶濃くて、読了後も長く心にとどまります。個人的にスヴィドリガイロフとソーニャがとりわけ忘れ難い存在。

初めて読む人にとって、ロシア独特の人名呼称の複雑さ(慣れるまで誰が誰やら分かりにくい)と延々と続くセリフが障害になりそう。物語自体は比較的シンプルなんですけどね。読むには相応のエネルギーと時間が必要です(こんなこと書いたら未読の人は興味失うか・・・)。ちなみ新潮社文庫の翻訳は文章が生硬いです(そんなに支障はないけれど)。
それと、エピローグで示される結末の“解釈”が問題になるかも。宗教がからんでくるから。わたしなりの理解を下に付けましたので、もしかしたら参考になるかも。

《テーマに関して補足》
この作品のテーマは「愛」。恋愛とか性愛ではなくて、それらをひっくるめた「広義の愛」。ラスコーリニコフとソーニャの間には恋愛感情が存在するだろうけれど、二人の言動を恋愛の理屈のみで読み解こうとするとたぶん脱線してしまいます。
ドストエフスキーは彼が考えるところの「広義の愛」を直接的には語らず、ソーニャを通して表現しています。セリフとして語らせるよりも、体現させています。
わたしのような無宗教な読者に彼女の信仰は理解し難いものがありますが、ただしこの作品では信仰すること自体よりも、信仰によって得られる「広義の愛」がメインなので、歯が立たないということはないと思います。

それから、ラスコーリニコフのキャラに関して、セリフだけを追いかけていくとたぶん脱線してしまいます。彼のセリフはしばしば尊大で利己的だけど、その行動や態度(たとえば母妹やソーニャの家族に対する)が「広義の愛」の芽を繰り返し暗示していると考えます。彼は、単なる血迷った犯罪者としてではなく、葛藤そのものとして描かれている、と思います。
もちろんエピローグでは彼の中で「広義の愛」が花開いたということでしょう。
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  1. 2006-05-03 11:11:39
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ムーン・パレス (ポール・オースター)

初期作品であるニューヨーク三部作だけではオースターを判断できないかも、と思って念のために評判の良い本作品を読んでみました。
現実感からの飛躍はところどころ目につくけど、ニューヨーク三部作のようなシュール系ではなくて、まっとうな青春小説。でも、三部作と同じ匂いが充満していました。

私生児として生まれ、精神的屈折を抱え込んでいる(らしき)主人公が、偶然の力を借りながら、自分のルーツを発見していく物語。

ニューヨーク三部作と同様に、主人公はこの作家特有のエキセントリックなキャラで、このキャラに同調できるかどうか次第、だと思います。

といっても、障壁になりうるのは、キャラそのものより、その描かれ方。主人公が犯罪者であろうと、精神的に破綻していようと、作者が上手く橋渡ししてくれれば感情移入できるはず。オースターはこの橋渡しをやりません。やろうとして失敗しているとか、気配り不足というのではなくて、やろうとしてない。そういうスタイルみたいです。
もう少し具体的に言うと、主人公を巡る状況(出会いとか境遇とか)と、即物的な次元での主人公の言動や心理は細やかに描写されているけれど、両者をつなぐメカニズムの部分がほぼスルーされています。主人公の行動が常識の範囲内であれば、読み手は容易に類推して間隙を埋められますが、オースターの主人公はとかく奇矯な行動(ホームレスになるとか、見境なく歩き続けるとか)に走りがち。ストーリーの流れから作者の意図は汲めるものの、オースターと相通ずる性格上の因子を持っていない読者は、取っ掛かりをつかみにくいのではないでしょうか?
少なくともわたしはそうで、勝手にテンパったりトチ狂っている印象が拭いきれなくて、つまり感情移入できませんでした。

ちなみに、この主人公による一人称自分語りのせいか、共演者の描写も淡白で、ことに恋人は薄くて物足りませんでした。

オースターの小説は英語の文体が際立って美しいそうで、柴田元幸さんの日本語訳がどこまでそれを伝えているのかは、原文を読んでいない、というか読んでも判断できないので、何とも言えませんが、翻訳物にありがちなたどたどしさは一切なくて、とても滑らか。
個人的には、中身よりも、そっち方面で楽しむ作家のような気がします。
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  1. 2006-05-03 11:11:00
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鍵のかかった部屋 (ポール・オースター)

ニューヨーク三部作の第三弾。しんがりです。

前二作は、登場人物が記号的、抽象的に造形されているとか、ストーリーの不条理性がむき出しになっているとか、とんがった作風になっていましたが、『鍵のかかった部屋』は現実的、写実的な人物造形、状況設定、描写になっていて、オーソドックスなスタイルです。密度の高い安定した筆致なので、前二作の印象を引きずって読み始めると意表を衝かれます。なんだ、普通のスタイルでもちゃんとできるんだ・・・みたいな。
ちなみに、三部作はかためて書かれたようなので、腕が上がったとかスタイルが変わったとかではなくて、意識的に使い分けたのでしょう。
ただし、終盤に、前二作を含めたニューヨーク三部作のコンセプトが語り手の口を借りて、というよりも作者自身の言葉で説明されていて、このあたりはやっぱりユニーク。

前二作では、アイデンティティの危機の“かたち”が図式的に描かれていて、危機の内容は(意図的に)掘り下げられていませんでした。『鍵のかかった部屋』では、人物や状況の設定が現実的、具体的であるため、読み手は自然と危機の内容に思いを巡らせてしまいます。しかし、それらの現実的、具体的な諸設定は、多くの手がかりを提供しているようでもあり、同時にリアリティを生み出すための飾り物のようでもあり、結局のところ、作者が執着するところのアイデンティティの危機の実相ははっきりとしません。

思うに、オースターの狙いは、彼が取り組んでいるアイデンティティの危機の所以を明かさないままに、虚構の力を借りて、危機の種類と、それに翻弄される感覚を描出するところにあるのではないでしょうか。
そうだとすると、衣装は違えども基本的なコンセプトは前二作と同じ、ということになりそうです。

ところで、これは前二作にも通じることですが、けっこう不用意に癖の強いキャラを使っているので、テーマに関わる部分と作者のアクの部分の境界が不分明になっていて、紛らわしいです。ただし、これを欠点ととるか、個性と見るかは微妙かも。
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  1. 2006-05-03 11:10:35
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幽霊たち (ポール・オースター)

ニューヨーク三部作の第二弾。

肌合いは『シティ・オヴ・グラス』に近いので、そちらの記事をご参照いただきたいのですが、両者を比較すると、『幽霊たち』の方が、不条理系のエンターテイメントとして楽しめました。主人公の錯乱と、ストーリーが条理を失っていくプロセスがナチュラルに連動していて、寓意に関わりなく、スリリングな展開に浸れました(ただし、不条理だけにカタルシスはありません)。というか、個人的には、このタイプの作品ではこういう効果が不可欠であって、『シティ・オヴ・グラス』はそこが不満でした。ただ、好みとしては『幽霊たち』でも十分とは言えなくて、もっともっと捻って欲しい。

作品内の情報だけではそこに込められた寓意は確定できませんが、アイデンティティーの危機は感覚として伝わってきますから、読後に想像をめぐらせる楽しみがあります。時代を考えるもよし、大都会を考えるもよし、宗教(の喪失)を考えるもよし、作者個人に思いを馳せるもよし、というところではないでしょうか?
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  1. 2006-05-03 11:10:07
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シティ・オヴ・グラス (ポール・オースター)

《ニューヨーク三部作》
オースターのニューヨーク三部作を読みました。

『シティ・オヴ・グラス』はこの作家のデビュー作にして、三部作の第一弾。残る二作は『幽霊たち』『鍵のかかった部屋』。
ちなみにこの3作品にストーリー上の相関関係はなくて、『鍵のかかった部屋』を読む上では前の2作に眼を通した方がスッキリしますが、『シティ・オヴ・グラス』『幽霊たち』は単独で読んでも支障ありません。

『シティ・オヴ・グラス』と『幽霊たち』は肌触りが似通っていて、一見探偵小説の体裁をとりながら、小説の常識をぶち壊すような型破りなアプローチで(たとえば、登場人物は記号的、抽象的存在として造型されているとか、ストーリーが不条理かつ象徴的であるとか)、自分を見失うことによる錯乱が描かれています。
既存の小説に挑戦する意志がはっきり表れていて、前衛的な作風と言えそうですが、20年前の前衛で、読みにくさはありません。ただし、型を破ろうとする意識の強さゆえに、作品単体では創作意図がつかみにくいかも。
個人的には、型破りな展開に気持ちよく惑乱させられて主人公の錯乱に同調する、という読み方がよろしいかと思います。

『鍵のかかった部屋』は、方向性は同じですが、若干毛色が変わります(詳細は別途)。

《『シティ・オヴ・グラス』について》
型破りな展開ゆえにストーリーに必然性が乏しくて、読者の関心を絶やさないために、ちょっと奇妙で気が利いたようなエピソードや会話や薀蓄話等が次々と繰り出されます。この演出を楽しめるかどうかで決まると思います。
わたしに関しては、もうひとつ乗り切れませんでした。いろいろと目先を変えてくるのだけど、どれも効果がイマイチで、作者との知的な駆け引きを楽しめる域には達していない、と感じました。

オースターはそれらしい暗示を散りばめていますから、主人公の言動に何らかの普遍的意味を見出すべきなのかもしれませんが、暗示が鮮やかに像を結んでいる、とは感じられませんし、終盤の狂態にもっともらしい説明を付けるのは難しそう。何やら寓意がありそうだけど、仕込みがいまひとつパッとしなくて、作者に好意的な読み方をしない限り、主人公は単なる変人。

ややネガティブな評になってしまいましたが、この作品が現代の日本人作家のデビュー作だとしたら、わたしはその作家に注目し、間違いなく次回作を心待ちにしたでしょう。完成度はともかくとして、作家の意欲と個性が刺激的です。

ところで三部作の中でこの作品だけ訳者が異なりますが、文章があまりこなれていません。
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  1. 2006-05-03 11:09:46
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蹴りたい背中 (綿矢りさ)

言わずと知れた芥川賞受賞作。

前作『インストール』から一気に飛躍して、立派な日本的純文学作品に仕上がっています。定番のウジウジとした世界(笑)。

『蹴りたい背中』のどんなところに純文学作品としての進歩を感じたかと言うと、前作『インストール』と同じくらいこじんまりとした世界ながら、人間の微妙な心理に対する洞察と表現が格段に鋭く深くなっている点です。

主人公のハツはにな川というオタク系男子に好意を感じているのだけれど、好きという気持ちが背中を蹴りたいという衝動となって表れます。SMに目覚めつつあると言うことではなくて(ハツが攻撃的なキャラであるのは間違いないけど)、孤独で息苦しい高校生活の中で唯一心を許せる存在であるからこそ、にな川に鬱屈した感情や近親憎悪めいた感情をぶつけたくなってしまうというところでしょうか。そんな、自分の内側で湧き起こる思いがけない感情やら衝動やらに翻弄される不器用な女子高校生の心理が活写されています。言動に表れているけど気がついていない、気がついているけど理解していない、理解しているけど言動に結びつかない、というような微妙な状態がしっかりと捉えられています。
これは、ハツとにな川の交流の描写だけでなく、高校でのハツの鬱屈した日常の描写にもあてはまります。

ただし、主人公のストレスフルな日常描写が大半を占める楽しくない作品なので(笑)、個人的には読み手の気を逸らさない程度にきわどい演出(エロという意味じゃないよ)が欲しかったです。淡々とし過ぎているように感じました。

文章とか演出の巧拙はともかくとして、作者のクールで理知的でかつ対象から逸れることの無い目線を感じました。とかく目を背けたくなる心の闇の部分とか看過しがちな微妙な揺らぎを直視し、じっくりと描き上げる強さと集中力があります。わたしはそれらを息苦しく感じますが、この息苦しさは純文学として“ホンモノ”の証であると思います。
それが芥川賞という大きな看板に見合うのかは、わたしには判断できませんけど。
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  1. 2006-05-03 11:09:04
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インストール (綿矢りさ)

アイドル化しているらしい芥川賞作家がいることを先日知って、手に取ってみました。本好きの方々にとっては今さらって感じなんでしょうけど。
こちらは芥川賞受賞作ではなくて、史上最年少17歳で文芸賞を受賞したデビュー作の方です。

学校生活に嫌気がさしていた女子高校生がバーチャルの世界にのめり込むんだけど、結局眼が醒めて改めて現実世界に眼を向ける、というお話。常識的でこじんまりとした展開。のめり込んだバーチャルの世界がゲームではなくアダルトサイトのチャットというのが捻りと言えなくは無いけど、21世紀的には「今さら・・・」というテーマ。
しかし小説ではテーマよりそれをどう扱うかが大事です。

1人称の語り口はパワフルと言うほどではないけど、流暢で能弁。心理描写は深かったりドラマティックということはないけど、登場人物が少ないとは言え活き活きと描かれている。ストーリー展開は地味で淡々としているけど、読み手の気は逸らさない。新鮮でもセンセーショナルでもパワフルでもないけど、安易でも安っぽくもない。と言う具合で、突き抜けた要素は無いかわりに、すべての要素に目配りされています。作家としてのアタマの良さを感じさせます。

若い作者だけれど、感性の瑞々しさとか軽やかさみたいなものはあんまり感じませんでした。視点の置き方とか感性は普通な感じ。そのかわりと言ってはなんだけど、まだきちんと形にはなっていないけど、いい意味での“毒”があった。物事を感覚で捉えるより、理知的に見つめるタイプかな。

作品単体としての感銘度はぼちぼちだけど、押さえるべきところは押さえられていて、なおかつ読み手を退屈させないから、これを書いたのが17歳となると、業界の人たちが何らかのお墨付きを授けたくなるのは理解できます。
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  1. 2006-05-03 11:08:34
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犬はどこだ (米澤穂信)

評判が良いようなので手に取ってみました。冴えない脱サラ探偵という設定が好みだし。

大きなところが2つ気になって、読み応えとしては物足りなかったけど、エンターテイメントとして楽しめました。

気になったところの1つ目は、事件がショボすぎるだろ、ということ。なんてこと無さそうだった案件が、調べるうちにドンドン大きくなって・・・みたいな盛り上げを期待したのですが、終始こじんまり。
ちんたら調査していた探偵が事件の背景を知るに至って気概を見せる、というお約束の展開ですが、肝心の事件がこれなので、盛り上がりはほどほど。ひねりが効いているだけに、残念。

もう1つは、行方不明になった女性が、『火車』(宮部みゆき著)みたいに、本人はほとんど登場しなくて、もっぱら探偵の調査によって造形される、という手法が採られていますが、ちょっと物足りない。意表を突くという点では巧みなんですが、人となりが伝わってこなくて、そのぶん作品が薄くなっていると思う。

というような不満はあるものの、これ以外の点ではかなりよく出来ていて、キャラは立ってるし、ひねりは効いているし、ユーモアもあるし、こなれた文章はとてもいい感じ。探偵が行方不明の女性に自分をダブらせるあたりは、ちょっと無理を感じたけれど、心理的な部分まで配慮されていることには好感。なかなか楽しい小説でした。
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  1. 2006-05-03 11:08:09
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バースト・ゾーン 爆裂地区 (吉村萬壱)

奥泉光氏のところでも書きましたが、純文学並に人間描写にこだわった娯楽作品、というのがわたしのツボ。意外と出会えないものですが、『バースト・ゾーン 爆裂地区』はうれしい該当作品でした。

この作家はデビュー作品集『クチュクチュバーン』(文学界新人賞)ではシュールなカタストロフを、芥川賞受賞作『ハリガネムシ』ではバリバリの純文学路線で人間の暴力的衝動を描破してきました。『バースト・ゾーン 爆裂地区』は近未来SFっぽい大作。なかなかに多彩(=多才)です。

『クチュクチュバーン』収録の2編と『ハリガネムシ』はいずれも短い作品だったので、この長大さが気がかりでしたが、揺るぎなく世界が構築されていて感服。堂々としてパワフルな筆致に圧倒されました。

ただし好き嫌いはかなり分かれそう。
エログロ・バイオレンスな作品世界は相変わらずだし、『クチュクチュバーン』なんかと比べると設定に具体性があってSFっぽさ=ジャンル色が濃厚。純文学路線の『ハリガネムシ』を気に入った読者がこの作品をどう受けとめるか?
また、純文学然とした渋すぎるキャラ設定や生臭い人間描写を純粋なSFファンはどう受けとめるか?

作者の創意は、純文学とかSFといったジャンルを超えて、エログロ・バイオレンスな表現や極限状態での人間心理を描き出すことに一途に向かっています。つまり心地良くない世界を構築しようとしています。このスタンスのままだと愛される作家になりにくいかもしれないけど(?)、自分がやりたいこととそれを実現する方法を心得た力強い存在です。
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  1. 2006-05-03 11:07:41
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ハリガネムシ (吉村萬壱)

『クチュクチュバーン』(別掲)はそれなりに面白く読めました。ただし、内容的には近未来SF風のパニック小説の終盤を抜き出したようなもんで、新しいとか前衛的というのではないと思います。どっちかというと身体を張ったギャグみたいなもので、そういうケレン味が面白かったし、それを最後まで読ませてしまう筆力に感心したわけです。

『クチュクチュバーン』で野放図に解き放たれていた暴力的で破滅的な衝動を、現実的な世界に生々しく落とし込んだのが『ハリガネムシ』です。
『クチュクチュバーン』とはうってかわっての正攻法のアプローチ、というかあきれるくらいに保守的で古色蒼然としたスタイル。純文学の作家としてやっていくならばこういう作品も書けることを示す必要があったとは思うけど、随分フツーになってしまいました。やっぱり芥川賞を意識した傾向と対策の結果なのでしょうね。

陰陰滅滅とした私小説的ノリといい、生々しく粘っこい心理描写といい、登場人物の心境や衝動を外的対象物(ハリガネムシとかハエとか)に表象させる古臭い手法といい、手垢にまみれた定番的アプローチ。過激な描写が目をひくと言っても、人間の暴力性や獣性を描くこと自体はいまどきありがちなわけで、取り立てて個性的とは感じませんでした。芥川賞という論述試験の模範答案みたいなもんですね。

保守的で堅実志向であっても内容が充実していれば良いわけで、「その気になればこういうのも書けるのか」と感心させられたし、けっこう引き込まれました。主人公のタガが外れてアブノーマルな世界に落ちていく描写はなかなか迫力があったし、自分自身に翻弄されることの怖さがリアルに描かれていました。

でも、個人的にはもうちょっと炸裂して欲しかった。わりと自己完結的なんですよね。純文学って自己完結的なのかもしれないけど・・・。現実の社会ではもっともっとエグイことが当たり前に起こっているわけで、手法の面で冒険しないのならば、せめてストーリーくらいははじけて欲しかったですね。
いろいろな殻を破ろうとするパワーに惹かれるわたしなのです。

本作品が芥川賞を睨んで無難にまとめた小説だとしたら、そういう呪縛から解放されるであろう次回作に期待です。
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  1. 2006-05-03 11:07:17
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クチュクチュバーン (吉村萬壱)

『クチュクチュバーン』『人間離れ』の2作品が収録されています。

ともに近未来SF風のパニック小説で、人類にとっての極限状況が描かれています。『クチュクチュバーン』では人類の変態、『人間離れ』では異生物による攻撃。
状況や背景の説明は最低限度。そのせいかSF臭さは無くて(SFだと状況や背景を科学的に説明しますよね?)、繰り広げられる描写の生々しさが前面にでている印象です。

いきなり始まって、ひたすらグロテスクでバイオレンスな描写が、無機的な語り口で小気味良くスピーディーに展開していきます。
オーソドックスな起承転結型の構造は完全に放棄されていて、導入後はひたすら想像力のパワーと瞬発力とスタミナで押しまくるだけの、“肉を切らせて骨を断つ”的な捨て身のスタイル。2作品とも長い作品ではありませんが、とにもかくにもラストまで読者を引きずり回します。想像力のあっぱれな全力疾走(短距離だけど)。
こう書くとなんかカッコ良さそうですが、繰り広げられるイメージはゲロゲロ。

『クチュクチュバーン』の方はラストで意味ありげなオチ(人間とは?みたいな)がつけられていますが、味わうべきはそれに至るまでの想像力の躍動感でしょう。『人間離れ』も同様です。
それを楽しめるかどうかにかかっています。

奔放さと奇想天外さは『クチュクチュバーン』、バイオレンスなら『人間離れ』。人の命や尊厳(?)を虫けらのように扱う容赦の無さとグロテスクな気持ち悪さはどちらもいい勝負。このあたりは滅茶苦茶好き嫌いが分かれそう。嫌いな人にはひたすら気持ち悪いだけかも。

かなり荒削りだし、2作品とも極端な性格の同タイプの小説なので作家としての総合的な力量は判断できませんが、吉村氏がいろんな意味で只者でないことは間違い無さそうです。
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  1. 2006-05-03 11:06:52
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東京湾景 (吉田修一)

別掲の『パーク・ライフ』は文芸の匂いが強い作品でしたが、こちらはありがちなメロドラマでした。

この手のジャンルは読みつけないので遠慮しようかとも考えましたが、せっかく読んだので自分なりに感じたことを。

愛することに懐疑的になったり臆病になっている一組の男女がすれ違いながらお互いの気持にたどり着く、というありがちな物語。お互いの心に踏み込まない男女が、これまた登場人物に踏み込まない筆致でソフトフォーカスに描き出されています。『パーク・ライフ』の作者ということで、最後まで読んだら何かあるかもしれない、と期待して読み通しましたが、すんなりと型どおりに終わってしまいました。つまりフツーのメロドラマでした。

湾岸というロケーション、出会い系での出会い、携帯メールでのコミュニケーション、職場での女性の立場、教師と生徒の恋愛等々の道具立てもお約束通りと言えるんじゃないでしょうか。
嘘っぽかったり甘ったるかったりしないのはこの作家のセンスの良さかな。『パーク・ライフ』でも感じたことだけど、描かないことによってリアリティを演出する手並みは上手い。
ただし、テーマや展開がこれだけベタだと、繊細で巧妙な技のうまみはほとんど相殺されてしまって、ちょっと趣味のいいベタな恋愛小説、以上のものにはなっていないと思う。だからダメということでは無いけれど、(個人的に)この人に期待するものからはかけ離れています。
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  1. 2006-05-03 11:06:21
  2.  吉田修一
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パーク・ライフ (吉田修一)

『パーク・ライフ』『flowers』の2編が収録されています。

どちらの主人公も、他人との乖離やズレを不可避なものとして受け入れて、それを常態としながら流され気味に日常を送っていますが、そうした中でのちょっとしたドラマが描かれています。

【パーク・ライフ】
序盤から中盤にかけて、流され気味な日常の中での内面の空虚さや自我(他者や外界から区別して意識される自分)の薄弱さが、臓器提供や人体模型の喩えを通して描かれます。突っ込んだ分析ではなくて、そこにあるものとして(あるいは無いものとして・・・)漠然と語られています。

そしてラストは、薄曇の雲が途切れてスッと陽光がさしかけてくるように、微妙に肯定的。
エンディングでスタバ女が「・・・私ね、決めた」と呟いた後ちょっと吹っ切れたような態度になって、それが何についての決心か分からないままに、主人公は「まるで自分まで、今、何かを決めたような」気持ちにとらわれます。何かを決心した他人を間近に見て、ちょっとだけ元気をもらいました、てことですよね、これ!?
スタバ女が何に対してどのように吹っ切れたのかは描かれていません。吹っ切れた瞬間と、その瞬間に立ち会うことで主人公の中に起こった微妙な感覚がさりげなく描かれています。

人から元気をもらう瞬間ってこんなものかもしれない、と思わせる周到かつ巧みな演出。このさりげなさがミソなのでしょうね。一生に一度あるかないかの大事件を描くのではなく、日常の中に転がっている契機を捉えることがこの作品の目指したリアリティなのでしょう。なかなかの意欲作ではないでしょうか。
もっとも、この作品を読んで元気になれるとは限りません(笑)。

それにしても、ちょっとさりげなさ過ぎるかもしれません。現実にこういう場面に立ち会ったら、表情や声のトーンや動作なんかからいろいろ読み取れるけど、言葉だけで表現する小説ではそのあたりのニュアンスが伝わりにくいわけで、できればそこを補って余りある演出が欲しいところ。

主人公とスタバ女の関係は今後恋愛に発展するかもしれないけど、この作品を恋愛小説の脈絡で読むとおかしなことになると思います。

【flowers】
生活のいろんなことに起因する主人公の抑圧みたいなものが職場での虐めもどきによって爆発、みたいな展開です。爆発といってもそんなに派手じゃありませんけど、徹底的にさりげない『パーク・ライフ』に比して物語は動的に展開します。そのぶん分かりやすくなっています。

ただし感銘は今一歩。
キーとしてどしゃぶりの墓地のシーンが使い回されていますが、このシーン自体が全然鮮やかではないし、暴行場面とのかぶせ方も垢抜けません。故郷を捨てることを決心した出来事と堪忍袋の緒を切らす出来事をオーバーラップさせる演出意図は分からないでもないですが、小説なんで感じさせてナンボのもんだと思います。
メインの流れが締まらないので、主人公と妻や従兄との関わり方の描写も宙に浮いている印象でした。
parklife.jpg
  1. 2006-05-03 11:06:02
  2.  吉田修一
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半落ち (横山秀夫)

この作家を読むのは『クライマーズ・ハイ』(別掲)に続いて2作目です。
同じノリです。組織に生きる男の熱い生き方が引き締まった筆致で描かれ、ちょっといい話風に締めくくる。

プロットは単純で彫が浅いし、人物の描き分けもイマイチ(キャラのパターンが限られている)。そして、物語の締めくくりを失敗しています。ああいう落ちにするのなら、仕込み方が間違っているんじゃないでしょうか。もっと病気ネタに読者の気持ちを引きつけておかないと。いや、やっぱり落とし方そのものを誤っているかな・・・

作劇としての弱さにもかかわらずやけに生々しく迫ってくるのは、男たちのぶつかり合いや組織との葛藤に迫力があるから。ぶつかり合いや葛藤の構図はワンパターンだし、熱い生き方礼賛のシンプルなスタンスだけど、作者は主役級の男たちを精神的にギリギリ追い詰めて、微塵も甘やかしません。
ここにこの作品のリアリティが、そして2作品しか読んでいないにもかかわらず思い切って断言してしまうなら、横山作品の一点突破的魅力があると感じます。浅田次郎作品の“人情”に匹敵する突破力を感じます(タイプは全然違いますが)。プロットが粗かろうが、人物がワンパターンだろうが、独自の世界に引き込んでしまわんとする強烈さ。勝ちパターンを持っている作家だと感じました。
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  1. 2006-05-03 11:05:25
  2.  横山秀夫
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クライマーズ・ハイ (横山秀夫)

作家自身が経験した職業(あるいはそれに類似した職業)を題材に採った作品は一味違います。現場に漂う空気とか、そこで働く人たちのメンタリティが生々しく伝わってきます。
この作品では地方の新聞社が舞台になっています。

とりあえず演出が抜群。読ませ上手です。男の意地のぶつかり合いや、理想と現実との葛藤がスリリングに描かれます。鋼のように強靭な言葉が歯切れ良く繰り出されてきます。切り詰められた筋肉質な表現で、全編クライマックスかと言いたくなるほどの強烈なドライブ感。
いろんな意味で体育会系ですねぇ(笑)。

新聞社の内情とか仕事の進め方は必要にして十分なだけ説明されていますが、文章のスピード感とかリズム感に障らないように要領よく織り込まれていて、そんなところにも上手さを感じます。

とは言え、気になった点がいくつかあります。主人公がベテラン社員のわりに感情的に過ぎる(あるいは青臭い)とか、新聞社の上層部が無能過ぎるとか(無為に主人公の暴走を許してしまう点で)、主人公とその息子の確執の根っこにあるものが見えにくいとか、主人公の生き様とクライマーズ・ハイ(登山中にテンションが上がりまくって恐怖感が麻痺する状態)を引っ掛けるのはしっくりしないとか。けっこうあります(笑)。
そのせいか、主人公の生き様を謳歌するエンディングには乗り切れませんでした。
しかし、そこに至るまでの面白さだけで十分に元が取れました。
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  1. 2006-05-03 11:05:01
  2.  横山秀夫
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人のセックスを笑うな (山崎ナオコーラ)

改行と句読点の多すぎる文章はロボットのブレイクダンスみたいにギクシャク。作者の文章力がお粗末なのか、頭の悪い読者を想定しているのか?意図がつかめないし、何らかの効果が上がっているとは感じられませんでした。

それはそれとして中味です。

19歳の学生(男)と39歳の教師(女)という歳の差カップルの恋愛が描かれていますが、こういう設定だと男性作家は女性のキャラをとかく年齢不肖なイイ女に仕立てがちですが、この作家(性別:女性)は少なくともルックス面では普通のオバサンとして描いているし、性格的に平凡とは言えないものの、ありきたりなイイ女キャラにはしていません。なかなかチャレンジング。

シンプルなストーリーですが、小気味良く場面を切り替えて飽きさせないところはセンスの良さを感じました。

視点は語り手である19歳の学生(男)にあって、彼の切ない心情はそれなりに伝わってくるけれど、39歳の教師(女)の内面描写はかなり手薄。恋の相手が彼女であることの小説的な必然性が感じられなくて、意地悪な言い方をすれば単なる熟女フェチ男の切ない失恋話と読めてしまいます(それともそういう小説なのかな?)。
主人公=語り手より39歳の教師(女)の方がはるかにたくさんの葛藤を抱えて恋しているわけで(夫との関係、絵に対する思い、恋愛に求めるもの・・・)、もうちょっと彼女に踏み込まないとこの大胆な設定が活かしきれないと思います(少なくとも深みとか厚味は出にくい)。
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  1. 2006-05-03 11:04:30
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生ける屍の死 (山口雅也)

素性はガチガチの本格ミステリーですが、米国の片田舎が舞台であること、死者が甦るという条件が付加されたことから、独特な味わいに仕上がっています。

主人公をはじめとして主要な登場人物は米国人だし、文章は軽快でユーモラス。翻訳物のような雰囲気です。モデルとなっている作家がいるのかもしれません。翻訳物を読みなれていないと取っ付きにくいかもしれませんが、幸いにして主人公が米国のミステリーにありがちなタフ野郎ではなく日本人に通じるメンタルの持ち主なので、舞台設定に慣れてしまうと案外違和感は無いと思います。
伊達に米国が舞台になっているのではありません。舞台設定が謎解きそのものに深く関わっていますし、宗教観とか埋葬の慣習などが掘り下げられていています。社会的文化的背景を異にする日本人読者の大半にとっては、架空の異世界が舞台に設定されているようなものです。謎解き部分の説得力を高めるためには、異世界やその住人たちをリアルに表現する必要があります。この作品は必要十分と感じました。

死者が甦るという条件が付加されています。こういうことをやると、物語のリアリティが殺がれて裏目に出ることが多々あります。その点、この作品では謎解きに巧みに取り込まれています。これによって謎解きの選択肢が格段に増えるし、非日常的な設定により直感が通用しにくくなります。読者の思考力と柔軟性が試されます。わたしのような直感に頼りがちなミステリー読者は手痛い一撃を食らうかも。

死者が甦るという一見奇抜な設定を奇抜に終わらせないのが、何度となく出てくる死に対する考察。こういうのは後付の説明っぽくなるとウザイだけなのですが、物語の進行を阻害しない程度に要領よくまとまっています。また、探偵役の主人公を早い段階で生ける屍状態にしてしまい、生ける屍の視点を読者に提示したことも成功していると思います。

ただし、グイグイと引き込まれるような吸引力は感じられず、何度も中断しながら読みました。淡白な印象です。特に残念だったのは、主人公を生ける屍にしたことのストーリー上の効果が不十分であること。生ける屍は、甦っても肉体は時間とともに朽ちていくという設定。主人公にはタイムリミットが課されているのに、その設定を活かしたスリリングな盛り上げがありませんでした。また、恋人未満だった彼女との心の触れ合いも、もっともっと劇的に描けたはず。拍子抜けするくらい淡白な扱いでした。ラストだけ叙情的に演出されても、そこに至るまでの伏線が無ければ、感動は薄くなります。せっかくのおいしい設定がストーリー展開でほとんど活かされていないのはもったいないです。
ikerusikabanexsi.jpg
  1. 2006-05-03 11:03:50
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ナ・バ・テア (森博嗣)

別掲の『スカイ・クロラ』の続編です。
『スカイ・クロラ』の味わいが引き継がれていますし、「状況が曖昧に提示される」→「エピソードが積み重なるにつれて鮮明になる」というパターンも踏襲されています。

そもそも前作『スカイ・クロラ』とのつながりが曖昧な状態で始まり、エピソードが積み重なるにつれていろいろな要素がピタッと噛み合っていきます。難解なパズルではないので大抵の人は途中で答えに行き着くと思いますが、それでも作り込みが丁寧なので楽しめました。ジグソーパズルに喩えるならば、ピースを嵌め込んでいくプロセスよりも、出来上がりの絵柄の美しさを楽しむ感じでしょうか。

良いところも悪いところも『スカイ・クロラ』と共通します。言い換えれば『ナ・バ・テア』によって新たに加わった魅力はほとんど見当たりませんし、それだけに『スカイ・クロラ』と出会ったときのような新鮮さはありません。
というわけで、『スカイ・クロラ』に共鳴できて、もっとその世界にひたりたいと感じた人向けの作品です。
nabatea.jpg
  1. 2006-05-03 00:52:11
  2.  森博嗣
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