ネタバレしてます。
わたしにとっては2作目の角田作品です。
根無し草のように世界を放浪する日本人たちが集う一軒家を舞台に、「ぼく」の内的なドラマが描かれています。
精神的な辛くなると安易に逃げ出したり己を偽ってしまう自分に気づき、自分に向き合うための一歩を踏み出す、というところまでが描かれていて、具体的には放置していた恋人「マリコ」との和解という結末を迎えます。
「ぼく」の内的なドラマはとてもシンプルで分かりやすいのですが、結末には釈然としないものが残りました。といっても、作品の欠点とかじゃなくて見解の相違です。
というのは、ここで描かれている「ぼく」を含めた根無し草的連中は、普通の旅行好きではなくて日常の退屈さやわずらわしさに耐えられない人々。長い目でみたら「ぼく」の気づきはこれの克服につながるかもしれないけど、現実的にはかなり望み薄。
だから、根無し草的なキャラでは無さそうな「マリコ」にとっては、「ぼく」とよりを戻すことがハッピーエンドとはとても思えないのです。「マリコ」のことを考えると「ぼく」はさらに二皮も三皮もむけなきゃいけなくて、もっともっと作者に鍛えて欲しかった。この結末は「ぼく」を甘やかしたぬるま湯に見えてしまいました。
でも、「マリコ」自身も同じく女性である作者もそれで良しとしているのだから、わたしが男の責任とか甲斐性みたいなものにこだわり過ぎているのかもしれませんね・・・
作者の角田さんは男に寛容なのかな。それとも多くを期待していないのかな。
『東京ゲスト・ハウス』→『エコノミカル・パレス』(別掲)の順に読むとシニカルで面白いかも。
- 2006-04-30 18:08:14
- 角田光代
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もともと怠惰な人間ではないけれど、形のない夢を追いかけて20代を過ごし、30代でどんづまり状況に直面してようやく後悔し始めたけど、生き方を清算しようとする発想や気力はなくて、希望を持てない人間関係にウンザリしながらもそれから離れられなくて、だんだん堕ちていくことに気がつきながらも感覚が麻痺してしまい、最後は・・・な女性が一人称語りでリアルに描かれています。
女性作家による女性の一人称語りには苦手意識があります。一つの気分とか感情に対する集中力や執着力の強さに耐えられなくなることが間々あります。男だからそう感じるのか、わたし固有の感じ方なのかは不明ですけど。
そんなわけで、不安を感じつつも本の薄さに希望を託して読み始めたのですが、突き放したような淡々とした語り口のせいかサクサクと読めてしまいました。
心の内側ではいろんなものが渦巻いていそうだけど、そういうドロドロした部分を直視しないで、出来事だけが淡々と語られています。男性作家が描く女性とは一線を画した生々しい女性像ですが、突き放したような語り口がわたしに合っているようで、妙に共感できてしまいました。性別は違うし、主人公みたいな生き方はしていないのに、なぜか「そういうのって分かる気がする・・・」と何度も感じてしまいました。喩えるならば、女性と差しで飲みに行ったら、身の上話とか愚痴になってきて「まいったなぁ」って感じだったけど、聞いているうちにだんだん引き込まれてしまった、みたいな感覚です(笑)。
読者が女性だと、感じ方が全然違ったものになりそうですが・・・
ところで、この語り口は倦怠感とか投げやりな気分の演出につながっています。本来の効能はこっちなんでしょうね。
この作家の他の作品を読んでみようと思えたので、思わぬ収穫でした。

- 2006-04-30 18:07:48
- 角田光代
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