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ロリータ (ウラジーミル・ナボコフ)

ナボコフの代表作とされる怪物的作品。

“ロリータ”の語源はこの作品らしいです。この作品の刊行は1955年なので、この言葉の歴史も50年少々。
主人公=語り手はロリコンで(対象は小学6年生くらいの女の子)、孤児となった女の子を毒牙にかけてしまいますが、エロ小説ではなくて、バリバリの文学作品です。エロイ描写自体ほとんどないし。欲情目的でこの本を開くとガッカリします(笑)

読むのは2回目。初読は新潮文庫の大久保訳でした。再読の機会をうかがっていたところ、たまたま新訳(若島訳)が出たという情報をつかんだので、手に取りました。わたしは翻訳の良し悪しにこだわる繊細な読者ではありませんが・・・

この作品には3つの軸がある、と思います。

その1、フェチ的な偏愛と精神的な恍惚の言語表現。
対象は少女の肉体であったり仕草であったりですが、文学的なコミットメントが感じられて、その描写には詩的な薫りが立ち込めています。わたしはロリコンではありませんが、美的愉悦に溺れる感覚には共鳴できます。

その2、欲望が愛情へと変化していくプロセスと激しい葛藤。
王道の心理描写。変態小説(?)かと思わせながら実存の悲劇へと深化していきます。でも、こう展開させるのなら、蜜月期間にあった悲劇の予兆や慄きを後付で語らないで、伏線として仕込んで欲しい。

その3、型破りな文体。言語実験。
これが曲者です。全編に直感的な言い回しや言葉遊びが散りばめられています。難解というのではないけど、付き合うには多少の根気が求められます、たぶん。
しかし、ポイントになるのは中身との調和。調和がなければ単なるお遊びに堕してしまいます。この点はかなり微妙。今回読んだ若島訳本では、文体に硬さがあって、これが上述のその1、その2と協調し切れていないように感じられます。果たして原文はどうなのか・・・
これだけ文体が型破りだと、翻訳のせいなのか、原文がそうなっているのか、判断しかねるところです。

巻末にナボコフ本人による読み方のガイドが付いているので、読み外す心配はありません。なかなか良心的(笑)

ちなみに2度映画化されているようです。

《翻訳について》
若島訳は原文のテイストにこだわっているとの触れ込みですが、文章のテイストを決めるのは翻訳のアプローチより言葉への感性だと思うので、あんまり真に受けていません。いずれにしても、それを判断できる英語力はないですし・・・。
ただ、本作りのスタンスには好感できません。簡単に言ってしまうと、ナボコフの研究者が、研究成果を誇示するために、一部の専門家並びにそれに準ずる読者のみを意識して作った本、という印象。一般読者への読みやすさの配慮が乏しくて、あとがきはもっぱら大久保訳への対抗意識。読者層が限定される本とは思いますが・・・
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  1. 2006-05-03 11:14:49
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老人と海 (アーネスト・ヘミングウェイ)

この素っ気無いタイトルからは、海釣り好きの老人が登場する渋い小説を想像してしまうかも(このタイトルは直訳)。海が舞台で、主人公が老人であることは間違いないけれど、中身はかなりカッコイイです!しかも、今回読んで感じたのは、思っていた以上に深いということ。

読むのはこれが3回目。過去2回は10代のときで、いずれの回も、切り詰められたハードボイルドな文体から繰り出される、男の誇りとか闘志みたいなものに圧倒されました。
あの感銘に近いのは『あしたのジョー』かな?

感激の再燃を期待して久しぶりに手に取りましたが、意外にも、作品の印象はガラリと変わりました。作品が変わるわけ無いから、変わったのはもちろんわたし。思いがけず、この小説に20年の時の流れを突きつけられました。わたしの立ち位置が変わっていました。

しょっぱかった!
この作品では、男の誇りを賭した生き方の「雄々しさ」と「虚しさ」が背中合わせに描かれています。両者は完全にバランスしていて、作者による誘導めいた気配がないので、読み手の心の状態がそのまま作品に投影されることになります。
10代のわたしに、この「虚しさ」は主人公の誇りとか闘志を際立たせる卓抜な演出として映りました。しかし、今回再読して・・・ヘミングウェイが「虚しさ」をこんなにも濃やかに描いていたとは!意地&名誉の代償と切って捨てるには、あまりにも大きな孤独と空虚。この物語に込められたヘミングウェイの人生観は・・・?

『老人と海』は、男性読者にとっては、心を映し出す鏡のような小説かも。女性読者にとっては???

ちなみに、これの発表から9年後に作者が自殺を遂げたとしたら(公式発表は銃の暴発による事故死だが、一般に自殺と看做されているみたい)、ある程度しょっぱく読む方が正解なのかもしれません。ただ、そういう事情を抜きにして、作品だけから受ける印象では、前述のようにニュートラル(相対する価値が、作者による評価を加えられず、等価で並置されている)と感じられます。

わたしにとっては小説のお手本のような作品です(といっても、わたしは創作しませんが・・・)。シンプルなストーリー+必要最小限の登場人物+引き締まった文章、というギリシャ彫刻のような造形。しかも、ドラマとしてリアリティがあって、臨場感たっぷり。とどめは、読み手の心を映し出す透徹した演出。

長い小説ではないし(長編というより中編小説)、読みやすいです。ただし、新潮文庫版の福田訳は、セリフの言い回しがダサいし、原作の厳しさがスポイルされているような・・・『老人と海』というより『お爺さんと海』みたいな・・・
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  1. 2006-05-03 11:14:00
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魔術師 (ジョン・ファウルズ)

世界的にはそこそこ知られていそうな作家&作品だけど、日本では現在絶版中。

《作者》
ファウルズはイギリスの作家で、今年(2005年)というかほんの2ヶ月ほど前に79歳で亡くなりました。代表作とされるのは『コレクター』『フランス軍中尉の女』『魔術師』で、いずれも映画化されています(が、必ずしもエンタメ系の作品ではない)。ファウルズの作品を読むのは『コレクター』に次いで2作目。

《作品の概要》
一言で言うと、知的というか哲学的なエンターテイメント。恋愛あり、サスペンスあり、ミステリーもどき(犯罪は起こらないけど、謎解きの演出はミステリー的)ありのエンタメ路線で、かなりのドライブ感で作品世界に引きずり込まれて、ふと我に返ったらファウルズ独自(?)の哲学にどっぷり浸っている、という趣向。

登場人物たちの駆け引きを通して作者と読者が駆け引きをする、という多重構造になっていて、知的にも感情的にも絶叫マシーン並みに翻弄されます。
エンタメ部分での卓抜な演出力と、知的で真摯な思想が、計算し尽くされたあざとさでもって効果的に融合されていて、知の企みの奥深さ、したたかさに舌を巻きました。
タイトルの『魔術師』は直接的にはとある登場人物のことを指しているようだけど、ファウルズ自ら小説の魔術師たらんと根性入れて書き上げた一作と感じました。

以下ネタバレです。

主人公はイギリス人青年で、恋人をほったらかしにして、ギリシャの孤島の学校に教師として就職します。その島にはさる富豪の別荘があって、主人公は富豪が仕掛けてきた謎めいたゲーム(ヴァーチャルではなくリアルなゲーム)に引き込まれます。何気なく始まったゲームは、駆け引きとどんでん返しを繰り返しながら迷宮化し(何が真実で何が虚構なのか?このゲームの目的は?)、そこに恋人や謎の美女が・・・。なにしろ臨場感溢れる演出と女性の描写が素晴らしい。
テンションが最高潮に達したところで、営々と積み上げられてきた虚構が音をたてて崩れ去り、作品がその本性を現します。

《テーマ》
この作品のテーマは“自由”で、それも政治的あるいは社会的自由ではなくて(それにもつながるのだろうけど)、人として自由であるとはどういうことなのか?みたいなことで、哲学的なニュアンスが濃厚です。ファウルズは率直に自分の考えを表明しているけど、ただしかなりダイジェストになっているみたいで、この作品だけでその全貌を理解するのは困難。わたしの場合、訳者の解説を助けとしつつ、銃殺刑シーン、裁判シーン、ラストシーンをつき合わせることで、イメージを得ました。
ファウルズの主張を理解しなくても(理屈の面で作者に付き合わなくても)ある程度は楽しめそうだけど、それだと奇奇怪怪な恋愛小説として読み終えてしまう危険があるし、どこかスッキリしないと思います。
ただし、主張が率直であるがゆえに、違和感が生じる可能性はあるかも...

《読みやすさ、とか》
40年ほど前の海外文学作品ですが、翻訳を含めて読みにくさは感じませんでした。
執筆当時(60年代)のイギリス社会に対する風刺がかなりあって、想像力で補いつつ読む必要がありますが、さしたる障害にはならないと思います。
訳文を通じても感じられるもったいぶった表現とか、シェイクスピアやギリシャ神話が一般教養といわんばかりに(日本人の庶民から見たら)無造作に引用されているとか、このあたりはいかにもイギリスの小説っぽいかも。好い悪いは別にして。

《余談》
余談ですが、これを読みながら村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を何度か想起しました。トータルで似ていると言うつもりはないし、村上春樹の文体とか雰囲気を重視する読者の好みには合わないかもしれないけど、直接的には戦争ネタの効果的な使い方、間接的にはエンタメ的要素を駆使しながら抽象的なテーマを表現する手法。村上春樹の知的な部分が好きな人にはお薦めできるかも。
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  1. 2006-05-03 11:13:12
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カラマーゾフの兄弟 (ドストエフスキー)

《作品について》
ドストエフスキー最後の作品です。2部作で構想され、『カラマーゾフの兄弟』はその第1部に当たりますが、作者は本作品完成後まもなく他界しています。
おそらく、作家として、思想家としての集大成とすべく構想された作品であり、未完ゆえにどこまで集大成になっているかはともかく、数あるドストエフスキーの著作の中でも特別な位置を占める作品でしょう。

《完璧な作品?》
難解でなる大作だけに、わたしのレビューを読んで「この本を手にとってみようか」と思う人はほとんどいないだろうから(?)、既読者向けに毒を吐いて終わりにします。

本書のあとがきによると、かの小林秀雄が『カラマーゾフの兄弟』を「およそ続編というものがまったく考えられぬほど完璧な作品」と賞賛したそうで、訳者は賛同の意を以ってこのくだりを引用しています。小林秀雄本人の文章を読んでいないので、前後の脈略は分かりませんが、本当にそうなのでしょうか?わたしには、続編を前提としていることが自明と感じられましたし、それを別にしても、到底「完璧な作品」とは言えそうもありません。

真摯に深められた思想を、切れば鮮血が迸りそうな人間のドラマとして具現するのが、ドストエフスキー作品の真骨頂。前半の第5編~第6編(『反逆』~『大審問官』~長老の辞世の長広舌)で提示されている壮大な命題に対して、『カラマーゾフの兄弟』の終わり方では何ら回答できていなくて(具体的には、神と社会制度のあり方について)、これが中間点であることは疑問の余地が無いと思いますけどねぇ。
さらに、少年たちや小悪魔少女にしたって、彼らが続編への布石として登場していることは間違いないと思います(そう看做さないと、尻切れトンボに過ぎます)。
作者が作中で何度も触れている通り、書かれなかった続編を受け入れる、つまり未完と看做すのが正解でしょう。

続編云々以前に、「完璧な作品」どころか、後半に入って失速気味で、わたしは死を目前にした作者の体力・精神力の衰えを疑ってしまいました。

完璧と言うなら、それは第3部まで(全体構成は、序+第1部~第4部+エピローグ)。第5編~第7編(第2部の途中から第3部の序盤)での、『反逆』&『大審問官』の章→長老の辞世の長広舌(ここで『反逆』&『大審問官』と対極的な立場が示される)→『腐臭』の章(ここで『大審問官』が部分的に現実化される)の一連の悪魔的展開といい、第8編~第9編(いずれも第3部)でのミーチャ(長男)が連行されるまでの畳み掛ける迫力といい(ドストエフスキー・クレッシェンド全開)、ゾクゾクしました。このあたりを読んでいるときは、空前絶後の大傑作か!?とテンション上がりましたが、既に述べたとおり第4部で失速。

思いつくところを挙げてみます。たくさんあります。
第10編『少年たち』は、前述のように続編への布石の意味合いゆえと推察するけど、『カラマーゾフの兄弟』単体の中では浮いているし長すぎる。そして、最大の問題は、長老の死を潜り抜けた新生アリョーシャ(三男)初登場の重要なパートであるにもかかわらず、全然キャラが立っていない。
第11編『兄イワン』は、もはやドストエフスキーの作とは思えないほどに段取り的で、イワンの発病・帰郷や彼とカテリーナの関係の深化など、第3部までの筆致であれば大いに盛り上がったであろう重要な場面が、ことごとく取って付けたような説明でやり過ごされているし、イワンとの信頼関係を一方的に妄想してのスメルジャコフの犯行は、いかにもお粗末。他の作家ならともかく、ドストエフスキーとしては密度が薄すぎるんです。
第12編『誤審』は、全編のクライマックスとしてそれなりに盛り上がりはするけれど、基本的には第11編までに提示された情報に沿って成り行くだけなので、想定範囲内の展開。というか、テーマそっちのけの法廷サスペンスとしての盛り上がりであって、この作品のクライマックスとして十全ではありません。続編ありきの中押しと考えても、ちょっと物足りません。

ドストエフスキーは、過剰なことはあっても、うっぺらさ、段取り臭さとは無縁な作家なので、これが本来の実力とは考えにくいから、病気(結核が死因らしい)による衰えか、あるいはそのために完成を急いだせいなのか・・・

《結び》
いろいろネガティブなことを書き連ねたけれど、繰り返すと、第3部までは凄いと思うし、それをもって『カラマーゾフの兄弟』をドストエフスキーの最高傑作と看做すことはアリだと思うけど(物語の完成度とは別のものを期待する読者は少なからずいると思うので)、無批判に持ち上げる姿勢に白けて、軽く毒を吐いてみました♡
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  1. 2006-05-03 11:12:11
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罪と罰 (ドストエフスキー)

世界的に評価の定まった作品なので、好きなポイントに絞ってコメントします。それでも長ったらしくなりそうですが(笑)。未読の方に少しでも興味を感じてもらえたら幸いです。

“純文学並に人間描写にこだわった娯楽作品、というのがわたしのツボ”というフレーズを過去に使いました。『罪と罰』を娯楽作品と呼ぶのは無理があるかもしれませんが、わたしの中ではこのタイプの傑出した作品です(そういう読み方をしています)。

この作品はシンプルな倒叙ミステリーになっていて、すなわち先に犯行の模様が描かれて、それが暴かれていきます。謎解きそのものよりも、それが解き明かされていくプロセスとその中での心理描写に重きが置かれます。主人公ラスコーリニコフの犯罪はかなりの偶然に支えられて成立しているので、ミステリー的な興味から読むと肩透かしになりますが、駆け引きや心理戦は最高レベルのテンションに達していて、それが強力なドライブ感を生み出しています。

じゃあどのあたりが文学しているのかというと、犯行動機とかその後のラスコーリニコフの心理の演出とか。動機そのものは貧しさから血迷っただけというありきたりなものですが、その血迷い具合とか葛藤の描き方が半端じゃないというか大変なことになっています。

手法としては何の変哲もない三人称語りを採りながら、モノローグとか会話がやたらと長くて、その中に心の動きとか人柄なんかもたっぷり盛り込まれていて、その1つ1つがあたかも一人称自分語りのような圧力で迫ってきます。もちろん登場人物は複数いますから“多重一人称自分語り”とでも称したくなるような様相を呈していて、要するに〇人称語りというような方法論を吹っ飛ばしてしまうほどにパワフル。

この作品のトーンを特徴付けているのは、熱に浮かされたような狂気。主人公が始終血迷っているということが大きいけれど、それだけじゃありません。貧しい登場人物たちはプライドとかアイデンティティを打ち砕かれたりあるいはそれらを押し殺したり、富める登場人物たちはエゴの塊となったり虚無的になったり。そんな彼らが前述の“多重一人称自分語り”で激しく自己主張してきます。まともな登場人物もいるにはいるけれど、全体として不穏な空気が充満していて、しかも一触即発の緊迫感がみなぎっています。
いや、みなぎっているだけではなくて何度となく炸裂します。夏の花火みたいにパンパンと。特にヒロイン(ソーニャ)の継母の発狂は身の毛がよだちました。

終盤に入ると、単独でも文学史に残りそうなクライマックス・シーンが怒涛のように連発されます。緊迫の限りが尽くされたラスコーリニコフ(主人公)とポルフィーリイ(いわゆる刑事役)の心理戦、ハードボイルドなタッチで描き出されるスヴィドリガイロフの死(個人的には作品中最もカッコイイ場面だと思う)、葛藤することの苦しさと哀しさが美しくも激しく描き出されたラスコーリニコフとソーニャの対話、そして胸が締め付けられるような幕切れ。

キャラは滅茶苦茶濃くて、読了後も長く心にとどまります。個人的にスヴィドリガイロフとソーニャがとりわけ忘れ難い存在。

初めて読む人にとって、ロシア独特の人名呼称の複雑さ(慣れるまで誰が誰やら分かりにくい)と延々と続くセリフが障害になりそう。物語自体は比較的シンプルなんですけどね。読むには相応のエネルギーと時間が必要です(こんなこと書いたら未読の人は興味失うか・・・)。ちなみ新潮社文庫の翻訳は文章が生硬いです(そんなに支障はないけれど)。
それと、エピローグで示される結末の“解釈”が問題になるかも。宗教がからんでくるから。わたしなりの理解を下に付けましたので、もしかしたら参考になるかも。

《テーマに関して補足》
この作品のテーマは「愛」。恋愛とか性愛ではなくて、それらをひっくるめた「広義の愛」。ラスコーリニコフとソーニャの間には恋愛感情が存在するだろうけれど、二人の言動を恋愛の理屈のみで読み解こうとするとたぶん脱線してしまいます。
ドストエフスキーは彼が考えるところの「広義の愛」を直接的には語らず、ソーニャを通して表現しています。セリフとして語らせるよりも、体現させています。
わたしのような無宗教な読者に彼女の信仰は理解し難いものがありますが、ただしこの作品では信仰すること自体よりも、信仰によって得られる「広義の愛」がメインなので、歯が立たないということはないと思います。

それから、ラスコーリニコフのキャラに関して、セリフだけを追いかけていくとたぶん脱線してしまいます。彼のセリフはしばしば尊大で利己的だけど、その行動や態度(たとえば母妹やソーニャの家族に対する)が「広義の愛」の芽を繰り返し暗示していると考えます。彼は、単なる血迷った犯罪者としてではなく、葛藤そのものとして描かれている、と思います。
もちろんエピローグでは彼の中で「広義の愛」が花開いたということでしょう。
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  1. 2006-05-03 11:11:39
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ムーン・パレス (ポール・オースター)

初期作品であるニューヨーク三部作だけではオースターを判断できないかも、と思って念のために評判の良い本作品を読んでみました。
現実感からの飛躍はところどころ目につくけど、ニューヨーク三部作のようなシュール系ではなくて、まっとうな青春小説。でも、三部作と同じ匂いが充満していました。

私生児として生まれ、精神的屈折を抱え込んでいる(らしき)主人公が、偶然の力を借りながら、自分のルーツを発見していく物語。

ニューヨーク三部作と同様に、主人公はこの作家特有のエキセントリックなキャラで、このキャラに同調できるかどうか次第、だと思います。

といっても、障壁になりうるのは、キャラそのものより、その描かれ方。主人公が犯罪者であろうと、精神的に破綻していようと、作者が上手く橋渡ししてくれれば感情移入できるはず。オースターはこの橋渡しをやりません。やろうとして失敗しているとか、気配り不足というのではなくて、やろうとしてない。そういうスタイルみたいです。
もう少し具体的に言うと、主人公を巡る状況(出会いとか境遇とか)と、即物的な次元での主人公の言動や心理は細やかに描写されているけれど、両者をつなぐメカニズムの部分がほぼスルーされています。主人公の行動が常識の範囲内であれば、読み手は容易に類推して間隙を埋められますが、オースターの主人公はとかく奇矯な行動(ホームレスになるとか、見境なく歩き続けるとか)に走りがち。ストーリーの流れから作者の意図は汲めるものの、オースターと相通ずる性格上の因子を持っていない読者は、取っ掛かりをつかみにくいのではないでしょうか?
少なくともわたしはそうで、勝手にテンパったりトチ狂っている印象が拭いきれなくて、つまり感情移入できませんでした。

ちなみに、この主人公による一人称自分語りのせいか、共演者の描写も淡白で、ことに恋人は薄くて物足りませんでした。

オースターの小説は英語の文体が際立って美しいそうで、柴田元幸さんの日本語訳がどこまでそれを伝えているのかは、原文を読んでいない、というか読んでも判断できないので、何とも言えませんが、翻訳物にありがちなたどたどしさは一切なくて、とても滑らか。
個人的には、中身よりも、そっち方面で楽しむ作家のような気がします。
moonpalce.jpg
  1. 2006-05-03 11:11:00
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鍵のかかった部屋 (ポール・オースター)

ニューヨーク三部作の第三弾。しんがりです。

前二作は、登場人物が記号的、抽象的に造形されているとか、ストーリーの不条理性がむき出しになっているとか、とんがった作風になっていましたが、『鍵のかかった部屋』は現実的、写実的な人物造形、状況設定、描写になっていて、オーソドックスなスタイルです。密度の高い安定した筆致なので、前二作の印象を引きずって読み始めると意表を衝かれます。なんだ、普通のスタイルでもちゃんとできるんだ・・・みたいな。
ちなみに、三部作はかためて書かれたようなので、腕が上がったとかスタイルが変わったとかではなくて、意識的に使い分けたのでしょう。
ただし、終盤に、前二作を含めたニューヨーク三部作のコンセプトが語り手の口を借りて、というよりも作者自身の言葉で説明されていて、このあたりはやっぱりユニーク。

前二作では、アイデンティティの危機の“かたち”が図式的に描かれていて、危機の内容は(意図的に)掘り下げられていませんでした。『鍵のかかった部屋』では、人物や状況の設定が現実的、具体的であるため、読み手は自然と危機の内容に思いを巡らせてしまいます。しかし、それらの現実的、具体的な諸設定は、多くの手がかりを提供しているようでもあり、同時にリアリティを生み出すための飾り物のようでもあり、結局のところ、作者が執着するところのアイデンティティの危機の実相ははっきりとしません。

思うに、オースターの狙いは、彼が取り組んでいるアイデンティティの危機の所以を明かさないままに、虚構の力を借りて、危機の種類と、それに翻弄される感覚を描出するところにあるのではないでしょうか。
そうだとすると、衣装は違えども基本的なコンセプトは前二作と同じ、ということになりそうです。

ところで、これは前二作にも通じることですが、けっこう不用意に癖の強いキャラを使っているので、テーマに関わる部分と作者のアクの部分の境界が不分明になっていて、紛らわしいです。ただし、これを欠点ととるか、個性と見るかは微妙かも。
kagixkakattaheya.jpg
  1. 2006-05-03 11:10:35
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