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作家五木寛之の『鬱の時代』というフレーズを最初に耳にしたのは、深夜のTBSテレビ。去年のいつごろだったか。2つの意味であきれてしまった。
ひとつは、いまだに時代にひとつのキャッチフレーズをあてはめて商売する文化人がいること。ずいぶん前から人々の価値観は多様化しているとされている。近年多様化が進んでいるのか、もともと多様であった実態が顕在化してきただけかはわからないけれど、いずれにしても、時代を『鬱』『躁』の一言でひっくるめて語ろうとする姿勢が、時代から大きく乖離している。あるいは恣意的でうさんくさい。
もうひとつは、世の中が鬱々とした方向に向かっていることは、それ以前から多くの人が感じていたことではないだろうか。いまさら(たぶんここ2年くらいと思う)声高に『鬱の時代』と叫ばれても、何番煎じなのだろうか?
あいにくと五木氏の作品を読んだことはないので、作家として論ずる資格はないけれど、時代の牽引者としてはすっかり色あせたのだなぁ・・・などと一人合点していたけれど、その後何度も同様の記事を眼にした。これだけ採り上げられるということは、意外と共感を集めているということなのか。それとも「腐っても鯛」ではないけれど、文壇の大御所だけに付和雷同する向きが多いのか。
- 2008-12-24 01:43:19
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最近“いじめ自殺”報道が盛んで、有名人がメディアを通じて呼びかけたりもしているけれど、個人的には違和感があったりする。
いじめに嫌悪を覚えるし、いじめる人には敵意を感じる。
でも、わたしは自殺ということがよく理解できない。何となく感じるのは、他人が応援/支援できるのは、最低限「苦しいけど、生き抜きたい」という意欲や希望を持っている人たちだろう、ということ。
わたしがここまでの人生で潜り抜けてきた艱難辛苦の量が、他人のそれと比較して多いのか少ないのか?は分からないけれど、「こんなんで、どうして俺は生きているのだろう?」というかなり煮詰まった自問自答の末にたどり着くのは、「生きたいから生きているのだ」という理屈抜きの結論。
極論だけど、総じて人生では苦しいことや煩わしいことの方が多いし、大半の人は負け越してしまうし、約束されたゴールが用意されているどころか、いずれ知力・体力は衰え、最後には朽ち果ててしまう。
だから、何らかの見返りと引き換えに生きる意欲が湧くのだとしたら、何度となく自殺の危機に瀕していたはずだけど、一度として自殺の淵まで進んだことはない。
そのような自覚はないけれど、わたしは優れてポジティブで楽天的なのだろうか?
わたしの中では、生きたいという衝動は、食欲や性欲などと同じく、物心つく前から自分の中にあるもので、ある意味わたしはそれに支配されている。楽しいから生きるのでも、命が貴重だから生きるのでもない。
みんながみんな同じだとは思わないけれど、とにかく自殺ということが理解しにくい。
そんなわたしでも、一時的にネガティブな感情に圧倒されてしまうことがあって、その度合いがもっと強かったり、継続的であったりすると自殺に向かうのかもしれない、と想像している。だとしたらとても苦しいと思う。
でも、他人が応援/支援できるのは、最低限「苦しいけど、生き抜きたい」という意欲や希望を持っている人たちで、それを見失ってしまった人たちにできることは大して無さそう。
生きる理由ばっかりは、本人が自分の中から見つけるしかない・・・と思う。
こんなわたしは冷淡な人間なのだろうか?
一人分の人生を背負うのに手一杯で、投げ出そうとしている人を見かけても、できるのはせいぜい「がんばれ!」と声をかけることくらい。
- 2006-11-11 16:22:17
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パートタイムアニメオヤジのひねもじら乃太朗です。
普段はアニメなんか観ない、というかテレビをほとんど観ないわたしですが、いつの頃からかインターネットテレビGYAOに登録していて、時間つぶしに利用させてもらっています。
そのGYAOで、テレビでの再放送が終了したばかりの『交響詩篇エウレカセブン』全50話が無料放送されています。GYAOでは、テレビ放映と連動させて、この作品が過去に数回放送されていて、要するにメディアミックス展開。
詳しいことは知りませんが、アニメ界の実力者を揃えて制作され、TV放送やDVDリリースだけでなく、コミック、ゲーム、ブロードバンドコンテンツ等を巻き込んだ一大プロジェクトとして展開されたようです。
にもかかわらず、TV放送での視聴率は1〜2%と低迷。ファンの間では、途中打ち切りが心配されたとか・・・
初めて視聴したのはGYAOでの何度目かの無料放送のときで、そのときは確か29話まで提供されていました。
放送期間が短かったので、漏れなく視聴することは出来ませんでしたが、なかなか面白かったです。腕の良い作り手が手間ひまかけて作った作品、という感じ。なんでこれが低視聴率だったの?というのが率直な感想でした。
ところが、30話以降の数話をTV視聴して低視聴率に納得。
インターネットで視聴するときは、自分のペースで次から次へと観ていくから、途中退屈な回とか場面があっても、あんまり尾をひきません。ところが、TVだと週に1話のペースだから、各話・各シーンでの満足感が重要で、たまたま間延びする話が続いたりすると、一気に萎えてしまいます。
『交響詩篇エウレカセブン』は展開が小気味良いとは言えないし、“家族”がテーマになっているせいか、手に汗握る展開が乏しくて、1週間先まで興味をつなぐ力は弱いかも・・・
結局TV放送は半分くらい見逃しましたが、その後の2回に渡るGYAOでの無料放送のおかげで、無事(?)コンプリート。TV放送いらないじゃん・・・
固めて観ると面白いんだよな〜
ちなみにGYAOでの無料放送は明日の正午で終了。これから全50話を制覇するのは、徹夜しても無理かも。

- 2006-09-29 15:34:16
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ここでいうトラウマ小説は、トラウマになるような強烈な小説、ではなくて、トラウマ(精神的外傷)を題材としている小説。
多すぎてパッとタイトルが出てこないくらいたくさんあります。先日記事をアップした『土の中の子供』(中村文則)、昨日読了した『いつかパラソルの下で』(森絵都)もそうでした(本日現在後者の感想は未アップ)。選んで読んでいるつもりはないのに、立て続けにトラウマ小説。アプローチはまるで違うけれど。
トラウマ小説隆盛の理由は、二方向から説明できそう。
小説で読者をハラハラさせるには、何か障害が必要です。
障害としては、
〇 距離(恋人や親兄弟と離れ離れとか)
〇 身分とか立場(不倫とか)
〇 病気&死
〇 社会情勢(戦争とか革命とか)
〇 経済的な事情
〇 家庭の事情(主人公が子供の場合)
〇 コミュニケーション不能(お互い好意を持ちながら、すれ違ってしまう男女とか)
〇 時間の壁(取り返しがつかない・・・)
などなど枚挙に暇がありません。
しかし時代が進み、交通機関が発達し、携帯電話が普及し、医療サービスが充実し、社会が豊かになり、道徳観がさばけてくると、障害を設定しにくくなります。もちろん過去や外国や空想の世界を舞台にすればなんとでもなりますが、読者そのものが便利な世の中になれきっていることは看過できません。
つい最近も、女性が病死するタイプの純愛小説が立て続けに大ヒットしたから、“死”の障害としての存在感は風化していないようですが、その他の物理的・社会的障害は下降気味かと。
人間の外に障害のネタを見つけにくくなると、作り手の目は自然と内側、つまり心に向かうのではないでしょうか。そして、単なる性格的な障害(短気とかうっかりとか恥ずかしがり屋とか)をドラマの軸にするのは心もとないけれど、トラウマならドラマに仕立てやすい。
「アダルトチルドレン」(機能不全家族の中で成長した大人)、「PSTD」(トラウマを原因とするストレス障害)なんて言葉が流行ったりと、人々の関心がこの分野に集まっていることも重要なファクターでしょう。
障害というレベルに達していなくても、それっぽい反応を自覚しつつ、それと折り合いながら生きている、という人はけっこういるのではないかと思います。というか、「アダルトチルドレン」の大半は、当面支障なく社会生活をおくっている、とされているそうです。
一般にトラウマの原因とされるのは、虐待、強姦、戦争、犯罪、事故、ドメスティックバイオレンス、災害など。「アダルトチルドレン」では家庭内のトラウマが中心になるので、家庭不和とか、親の精神的な未成熟とか、子供への過度な干渉など。
素人考えですが、トラウマに関してちょっと思うところがあります。
小説、映画、TVドラマなんかでトラウマが採り上げられる場合、たいていは上に挙げたような分かりやすい原因が用意されています。原因を示さなければ、ドラマ性もメッセージ性も演出しにくいし。
しかし、現実のトラウマでは、原因はドラマティックな出来事とは限らない、というか、特定しにくいような些細な出来事であることが多いのではないか、という気がします。
例を挙げます。胎児は胎外からの刺激を知覚しているそうですが、脳や感覚器が未発達なので、胎内を世界そのものと認識している可能性があります。この仮定が正しいとすれば、妊婦が激しく口論をしたり、長期のストレスにさらされることにより、胎児は、我々にとっての戦争や天変地異と同程度の衝撃を受けるかもしれません。そのときの精神的ダメージによって、何らかも障害に悩まされるかもしれません。
こういうケースでは、おそらく原因を把握することは困難だろうし、原因が特定できるとしても、小説の題材としては地味すぎます。
でも、文学作品なんかで深刻に描かれる「心の闇」みたいなものの実体は、こういう些細なことかもしれません。
- 2006-08-16 11:41:37
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さる親切な女性(というか、ざれこさんのことです)にご招待いただき、最近mixiに登録しました。
で、喜び勇んでマイミクシィを登録しまくる、などということはなくて、お試し程度に、コミュニティに登録しつつmixi純正の日記に何回か書き込みました。
このブログと被らないように、本とか音楽以外のネタを選びましたが、イマイチ日記じゃない。日常の何気ない出来事を書くのがヘタクソなんですね。書いた端から「どうでもいいじゃん!」と思ってしまうので(笑)。
結局時事ネタを4回アップしただけ。
時事ネタとかエッセイもどきなら、公開の場をmixiに限る理由はないので、このブログに一本化することにします。
さっそくmixiにアップした4つの記事をこちらの“雑談”に移しました。
これを機会に、この種の雑談も増やしていきたいです。
なんでこんなことをアップするかというと、mixiの日記にヾ(=ΘΘ=)ノさんとすのさんからコメントをいただていたので、お詫びとお知らせです。
もちろんmixiの登録はそのままにするので、どっかで見かけたら声をかけてください。
では!
- 2006-08-05 19:07:04
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7月末に公開。Yahoo!の掲示板で評判をチェックしたら、レビュー数2607件と圧倒的な数で、注目度の高さがうかがえる。でも評価はかなり厳しい。5点満点中2.3点。
ちらちらとレビューをのぞいた限りでは、今回初監督の宮崎駿の子息、宮崎吾朗へのダメ出しが多いみたい。でもそれは酷というもの。おそらく彼は実質広告塔に過ぎないから。
ジブリの大看板は未だに高畑勲と宮崎駿。70歳、65歳と高齢であり、共に頑固な職人気質。そして、両者に比肩できる後継者は育っていない。
ジブリというブランドのこれからを考えると、高畑・宮崎抜きでヒット作を生み出せる体制作りが急務。
『ゲド戦記』は、高畑・宮崎後をにらんで、リスクを承知で、ジブリ社長の鈴木敏夫が仕掛けた生き残りへの模索。中堅若手スタッフによる総力戦。
高畑・宮崎抜きだからこそ、それを補うために名作ファンタジー『ゲド戦記』を下敷きとし、宮崎2世を看板に掲げた。
高畑・宮崎を支えてきた鈴木敏夫は、おそらくこの作品の出来をよく分かっているだろう。しかし、不評の懸念があっても、踏みとどまることはできない。それは将来を放棄することでしかない。
その鈴木敏夫にしても60歳目前で、おそらく本人の野心のためではなく、ジブリ社長の職責として、後進のためにやれるだけのことをやろう、というはらではないか。
そういう事情があるとしても、作品の評価に手心が加わるわけではない。状況の厳しさはジブリに限ったことではないのだから。ただ、この試みは始まったばかりだから、長い目で見守りたい。
・・・などと情報通のようなことを書いてしまったけど、全部妄想で〜す!映画観てないし、たぶんDVDになるまで観ないし(笑)。
いや、鈴木敏夫のインタビュー記事を参考にしたから半分くらいは本当か?
- 2006-08-05 13:40:18
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今さらの話題だけど、次期首相最有力、安倍晋三官房長官の成蹊大学法学部卒業という学歴が、ネットのあちらこちらで槍玉に上がっている。学力的にどうなの?という意味と、お坊ちゃん大学という意味で。
念のために(?)、戦後の歴代総理の出身大学を調べてみた。
東久邇宮稔彦王 陸軍大学校
幣原喜重郎 東京帝国大学
吉田茂 東京帝国大学
片山哲 東京帝国大学
芦田均 東京帝国大学
鳩山一郎 東京帝国大学
石橋湛山 早稲田大学
岸信介 東京帝国大学
池田勇人 京都帝国大学
佐藤栄作 東京帝国大学
田中角栄 中央工学校
三木武夫 明治大学
福田赳夫 東京帝国大学
大平正芳 東京商科大学(現一橋大学)
鈴木善幸 農林省水産講習所(現東京海洋大学)
中曽根康弘 東京帝国大学
竹下登 早稲田大学
宇野宗佑 神戸商業大学(現神戸大学)
海部俊樹 中央大学−早稲田大学
宮澤喜一 東京帝国大学
細川護煕 上智大学
羽田孜 成城大学
村山富市 明治大学
橋本龍太郎 慶應義塾大学
小渕恵三 早稲田大学
森喜朗 早稲田大学
小泉純一郎 慶應義塾大学東京帝国大学が圧倒的に多いけど、意外にも東京大学はゼロ。そして細川護煕以降は私立大学。
ちなみに、海部俊樹と森喜朗の早稲田大学というのは、どちらも二部。
無茶を承知で最新の代々木ゼミナールの私立大学ランクをチェックすると、確かに成蹊大学法学部は見劣りするけど、羽田孜元首相の成城大学経済学部のランクも同じ56なので、異例というほどではないかも。成城大学も坊ちゃん大学だと思うけど、羽田さんのときも揶揄されたのかな?
ポスト小泉で名前が挙がっている人では、谷垣禎一と町村信孝が東大で、福田康夫は早稲田。麻生太郎は学習院大学政経学部卒で、現在この学部は廃止されているようだけど、代ゼミのランクによると法学部60、経済学部59で、成城大学経済学部よりやや上。
ここまで調べておきながら、こんなことを言うのはなんだけど、なぜ安倍晋三の学歴にこだわるのだろう?
自分を振り返ると、就職までは大学という肩書きにそれなりの重さを感じたけれど、就職後は関係無かった。同じ会社の同じ職種で採用されているから、学歴は似たり寄ったり。そして、毎年職場で評価が下されるわけで、それがすべて。
ただし、新入社員については、予断のために出身大学をきくことはある。その場合でも、何ヶ月かして実務能力が分かれば、大学名に重みは感じなくなる。
安倍晋三の大学時代はかれこれ30年前で、そんなもので総理の適性を論じるのはナンセンスだと思うのだけれど(判断の精度が低すぎる!)、見方を変えると、彼の現在を論じられるだけの材料が国民の手元に無いということか。そうかも・・・
- 2006-08-01 18:55:00
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